今江敏晃にプロでやっていける自信を植え付けた「PL学園の竹バット」と「センター返し」 (2ページ目)
── 2005年は132試合に出場して打率.310(リーグ6位)、71打点を挙げる活躍。二塁打35本はリーグトップでした。急成長のきっかけは何だったのでしょうか。
今江 PL学園は練習では竹バットや木製バットを使い、試合になると金属バットを使用していました。当時の金属バットは、腕が伸びきった状態でインパクトしても遠くに飛びました。しかし竹や木製バットは、インサイドアウトの軌道でスイングしないと打球が飛びません。高校の時にしっかりしたスイングを身につけたことで、プロ野球にもすんなり対応できたと思います。
【日本シリーズMVPで全国区に】
── ほかにも、今江さんは投手の足元を狙って打っていたという話を聞きました。
今江 2005年からセ・パ交流戦がスタートしたのですが、ヤクルトと対戦した時にPL学園の先輩である宮本慎也さんから「投手の足元を狙って打っていけば打率.250は打てるぞ」と、アドバイスをいただきました。それは僕にとってすごく大きな言葉になりました。野球は90度のダイヤモンドから出ればファウルになるので、センターラインに打っていけばそこから散らばってヒットゾーンが広がる。それに投手の足元の打球というのは処理するのも難しく、ヒットが増えるということです。
── 打撃の基本が急成長の要因だったのですね。
今江 少年野球の頃から言われていた「センター返し」はそういう意味があるのだと、あらためて認識しました。だから2005年シーズンは、プロでやっていける自信めいたものをつかめました。
── 日本シリーズでは阪神を4勝0敗のストレート勝ちで一蹴し、31年ぶり日本一。今江さんは8打席連続安打の活躍でMVPに輝きました。
今江 ペナントレースではレギュラーの座を死守しなきゃという思いがあり、気が張り詰めていました。でも日本シリーズはリラックスして打席に臨むことができました。それが好結果につながったのかもしれないですね。そういえばその年、パ・リーグのプレーオフ中に第一子が誕生し、人気球団である阪神との日本シリーズで注目され、プロ野球選手としての自覚が芽生えました。
2 / 4