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高山郁夫がオリックスコーチ時代に起こした内角革命 唯一例外だった沢村賞投手とは? (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

【沢村賞投手の意外な弱点】

── 逆にインコースを苦手にする投手もいたのでしょうか?

高山 どうしてもインコースを突けない投手もいました。そこは自分の目で確かめ、捕手から話を聞きながら見極めるようにしていました。やみくもに、投手陣全員に「インコースを使おう」と言っても、その投手の長所が消えてしまったら意味がありません。

── インコースを苦手にしていたのは、誰だったのですか?

高山 金子千尋です。

── そうだったのですね。コントロールがいいイメージですが。

高山 左バッターのインコースには投げられるのですが、右バッターのインコースに投げるのを苦手にしていました。でも、彼ははっきり言って天才です。ホームベースの左半分しか使わなくても、質のいいストレートと多彩な変化球で奥行きまで使って勝負できたんです。私も長くプロ野球の大投手たちを見てきましたが、右バッターのインコースを使わないで大活躍した先発投手は金子以外に記憶にありません。

── 2014年の金子投手は16勝5敗、防御率1.98。同年のパ・リーグMVPと沢村賞を受賞する大活躍でした。

高山 彼は結果を残すだけでなく、チーム内での影響力も大きかったです。西がプレートの一塁側を踏むようになったのも、金子から学んだことですしね。1試合をひとりで投げきるタフさがあって、森脇監督は金子の先発時だけはリリーフの準備を遅らせていたほどです。

── 強力な投手陣の活躍もあって、オリックスは前年の5位(借金7)から2位(貯金18)と大きく順位を上げました。首位・ソフトバンクとは勝率2厘差、直接対決は11勝12敗1引き分けでしたが、古巣への対抗意識は強かったのでしょうか。

高山 そのような感情が入る余裕はなかったですね。2013年はBクラスに低迷したチームでしたから。それ以上に、私の退団報道が出たその日に声をかけていただいたことがうれしかったですし、「オリックスのために」という思いが強かったです。

つづく


高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した

著者プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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