中村武志が振り返る闘将・星野仙一との壮絶日々 世紀の大乱闘事件の夜、部屋に呼ばれ「おまえ、野球を辞めろ!」 (2ページ目)
── その一方で、星野監督は入団まもなく整理対象リストに入っていた中村さんを残すよう、球団フロントに頼んだとも聞きます。以後、中村さんは中日のレギュラー捕手になります。
中村 1988 年の優勝旅行でオーストラリアに行った時のことです。「こいつのおかげで優勝できたんだ。カメラマンさん、一枚頼むよ」と、ツーショットの記念写真を撮りました。星野監督に初めて褒められたんです。うれしかったですねぇ。
── それから11年後、1999年の優勝のエピソードはありますか?
中村 星野監督との話は、すべてがエピソードですからね(笑)。その時、星野監督は52歳、私も32歳。私も星野監督の考えることがわかるようになり、多少は「会話」をできるようになって、大人扱いしてもらっていましたね。
【世紀の大乱闘事件の裏話】
── そういえば1987年6月、熊本の藤崎台球場での中日対巨人戦。宮下昌己投手から背中にデッドボールを受けたウォーレン・クロマティ選手が激怒。宮下に右ストレートを浴びせ、両軍入り乱れての大乱闘に発展しました。
中村 試合に出始めてまもない時期で(プロ3年目)、私にとって初めての乱闘だったんです。結果論から言うと、すべて私が悪いんですよ。
── どういうことですか?
中村 「厳しいコースを攻めていこう」という事前のミーティングがあったんです。いざ当ててしまって、打者が投手に向かって行ったら、それを捕手は止めなくてはならない。しかしパニックに陥った私は、あろうことか転がっていた球を拾いにいったのです。その間にクロマティがマウンドの宮下さんに突進したのです。
── 中日はいつも戦闘態勢でしたが、星野監督は王貞治監督の肩に手をかけるなど激高していました。
中村 星野監督は「クロマティが宮下を拳で殴ったんだ。それはダメでしょう。退場ではないか」と。そういう説明のために拳を握ったのが、「世界の王さん」に対してのファイティングポーズだと周囲に受け取られて、星野監督が非難されてしまったわけです。
2 / 4