中村武志が振り返る闘将・星野仙一との壮絶日々 世紀の大乱闘事件の夜、部屋に呼ばれ「おまえ、野球を辞めろ!」 (3ページ目)
── その後、チーム内での顛末はどうなったのですか?
中村 ホテルに帰ってから、私は星野監督に呼ばれて......それは本当に怖かったですね。注意どころでなかったです。「捕手が投手を守らなくてどうするんだ! おまえ、野球を辞めろ!」って。あとは想像にお任せします......。
── 中日投手陣には、「谷繁元信さんは厳しい父のリード」「(中村)武志さんは包み込む母のリード」と表現した投手がいました。「打たれても、一緒に監督に怒られてくれる」と。
中村 私自身、リードに甘いところがあったと自覚しているんです(笑)。でも、クロマティの一件は、あらゆる意味で「捕手として投手を守る」こと、「プロの捕手はどうあるべきか」ということを知った最大の転機となったのは確かです。
【星野監督からの惜別のパンチ】
── 星野監督の死去が発表されたのは2018年1月6日。あまりに突然の訃報に野球界は揺れました。体調が芳しくないことを、中村さんはご存知だったのですか?
中村 体調がすぐれないということは聞いていましたが、そこまで悪いとは思っていませんでした。亡くなる前年の12月に「野球殿堂入りを祝う会」でお会いしたのですが、今にして思えばかなり弱っていました。星野監督は覚悟していたのかもしれませんね。その時、顔に平手打ちされたのですが、力がなく弱々しくて......。いつものパンチというより、頬をさするようでした。
── 星野監督からしたら、きっと、「お別れ」の意味だったのでしょうね。
中村 その時に「星野監督、殿堂入りおめでとうございます。でも今の時代、叩いたらダメなんですよ(笑)」と言うと、「オレとおまえの仲なんだから、いいんだ」と。私は星野監督に最後のパンチをいただいた男なんです。そして最後に、「よく耐えたな。よく頑張ったな」という労いの言葉をいただきました。
── 訃報には驚いたでしょう。
中村 星野監督に対しては、いまだに後悔ばかりなんです。「もっとああしておけばよかった」「もっとこうしておけばよかった」と。私が21年現役を続けましたが、プロ野球の長い歴史のなかで20年以上捕手を務めた選手は歴代14人しかいないみたいです。それもこれも、星野監督が礎を築いてくれたおかげなんです。
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