定岡正二が明かすドジャースキャンプ秘話 親友・篠塚和典とは「これからも一緒に野球界を盛り上げていきたい」 (4ページ目)
――冷たくするのはやむをえなかった?
定岡 全員に対応していたら、とんでもないことになっちゃいますから。そういうことがあったので、今でも声をかけてくれたり、イベントなどに来てくれるファンの方は本当ありがたいです。そういう方たちに支えられてプロ野球選手としてプレーできたわけですし、今もこうして活動できている。プロ野球において一番大切なのは、ファンの存在だとあらためて思い知らされます。
――最後に、今回、篠塚さんと対談されたご感想をお聞かせください。
定岡 余計なことを言ってしまいそうですし、普段はあまりYouTubeには出ないんです。でも、昔から知っている戦友のシノから声をかけてもらったので。これからもシノと一緒に野球界を盛り上げていきたいし、子供たちに野球を教えたりもしたいし、長嶋さんを喜ばせられるようなことをしたい。今日はシノの新たな一面を知ることができて一段とうれしかったです。これからもよろしく、という思いです。
篠塚 今日はいろいろと和ませていただいてありがとうございます(笑)。巨人の話をはじめ、いろいろなお話をしましたが、振り返ってみるとやっぱり長嶋さんがいて今の自分がある。
サダさんもそうだと思うんです。長嶋さんは現在、ああいう体の状態で頑張っていますが、我々もあの姿を見てまた頑張ろうという気持ちになる。それと、これからの野球界を担う子供たちをしっかり育てていくことも我々の役目だと思いますから。これからも力を合わせて頑張っていきましょう。
【プロフィール】
■定岡正二(さだおか・しょうじ)
1956年11月29日生まれ、鹿児島県出身。1974年のドラフト1位で巨人に入団。長嶋茂雄監督の指揮のものもと、1980年にプロ入り初勝利を挙げた。藤田元司監督が就任して最初のシーズンとなった1981年にはプロ入り初の2ケタ勝利(11勝)。翌年にはオールスターに初出場、自己最多の15勝を挙げ、同年代の江川卓や西本聖とともに"先発3本柱"として活躍した。通算成績51勝42敗3セーブ。現役引退後は、タレントとしても活躍の場を広げた。
■篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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