定岡正二が明かすドジャースキャンプ秘話 親友・篠塚和典とは「これからも一緒に野球界を盛り上げていきたい」 (2ページ目)
――定岡さんのスライダーが通用した、という話も聞きますが。
定岡 そうなんです。当時のトミー・ラソーダ監督から「アメリカに残れよ」と言われましたし、コーチからも「いい球だ」と言われてボールの握り方を聞かれたりしました。
篠塚 もう少し長くやってくればよかったんじゃないですか(笑)。
定岡 それはそれで、俺の生き方だから......悔いはないよ(笑)。
【引退後に始まった交流。ゴルフはどっちがうまい?】
――ちなみに、篠塚さんと定岡さんが交流するようになったのは引退されてからですか?
篠塚 そうですね。現役時代は野手とピッチャーで行動が別でしたし。
定岡 交流するようになってから、現役時代にはわからなかった新しい発見がいろいろあるんです。ゴルフをやっている時には「こんなに勝負に対してねちっこいんだ」と感じたし(笑) 。中畑清さんからは「シノは俺の倍くらい体力がある」と聞いたのですが、「本当かよ?」と。
――定岡さんにとって、篠塚さんはどんな存在ですか?
定岡 やっぱり戦友ですよ。一緒に戦って同じ釜の飯を食って、ここまできていますから。50歳を過ぎた頃から交流が深まって、親友ができたような感覚なんです。それと、シノは優しいよね。お子さんや孫などと接する姿を見ていると、家族を大切に見守っています。僕はひとりで生きていくタイプでそういうものがないし、そういう意味でもリスペクトしています。
――篠塚さんにとって、定岡さんはどんな存在ですか?
篠塚 サダさんは甲子園で僕以上に騒がれていました。そういう意味では"甲子園の仲間"。その後は巨人で同じユニフォームを着て戦いましたし、引退後は野球教室で顔を合わせたり、今ではゴルフや食事にも一緒に行きます。戦友であり、身近な先輩ですね。お互いにいい歳のとり方をしていると思いますから、これからもよろしくお願いします(笑)。
定岡 まだまだいきますよ(笑)。
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