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ベイスターズはいかにして下剋上を成し遂げたのか? 三浦大輔監督が明かした「横浜進化」の内幕 (4ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi

── 三浦監督もそこはコミュニケーションを取りながら、選手たちを信じて託した。

三浦 選手たちは大変だったと思います。常に「明日のことを考えず、今日を出し切ってくれ」って言われるんですから。ヘトヘトになってようやく勝っても、「また明日全部出し切ってくれ」ですからね(苦笑)。本当に選手たちはよく頑張ってくれました。

── 全員の力が合わさった日本シリーズ制覇。ホームの1、2戦を落とす厳しい展開でしたが、そこから4連勝で逆転をしてハマスタで戴冠。チームにとって非常に価値のある戦いだったと思いますが、戦術や作戦を練る以外、どんな思い出戦況を見つめていましたか。

三浦 1試合1試合の重みって言うんですかね......ふと思ったのは、98年の権藤(博)さんは、こんな気持ちで指揮を執っていたんだなってことですね。当時、第3戦で自分が投げたんですけど、どんな気持ちで見ていたんだろうとか、いろいろなことを考えました。だから、胴上げの時には両手の人差し指を立てたんです。

── ああ、権藤監督と一緒ですね。

三浦 ええ。もし胴上げしてもらえるのならば、俺もそうしようって思っていました。

── 胴上げの時に見た景色はいかがでしたか。

三浦 最高の景色でした。本当にきれいな夜空でね。夢見心地じゃないですけど、周りの景色がスローモーションになって天にも昇る気持ちでした。これをまた味わいたいなって。

── 今回、日本シリーズは制覇しましたが、ペナントでは3位。下剋上はなったものの、評価という意味では100%されてはいません。

三浦 そうおっしゃる方がいるのはわかります。だから我々としても、もうそこしかないなって。一昨年は交流戦優勝、昨年はCS優勝、日本シリーズ優勝しましたが、やはりもう一つ残っている。来年こそリーグ優勝を遂げ、日本シリーズ制覇を達成したい。選手たちの日本シリーズ後のコメントを見ても全員がその気持ちですし、昨年の経験を生かし今年1年戦っていきますよ。

つづく>>


三浦大輔(みうら・だいすけ)/1973年12月25日、奈良県出身。高田商から91年のドラフトで横浜(現・DeNA)から6位指名を受け入団。4年目から先発ローテーションに定着し、97年には自身初の2ケタとなる10勝をマーク。98年には自己最多の12勝を挙げ、38年ぶりリーグ制覇、日本一に貢献した。2005年には最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを獲得した。2016年に現役を引退し、19年にDeNAの一軍投手コーチ、20年に二軍監督を歴任し、21年から一軍監督として指揮を執っている

著者プロフィール

  • 石塚 隆

    石塚 隆 (いしづか・たかし)

    1972年、神奈川県出身。フリーランスライター。プロ野球などのスポーツを中心に、社会モノやサブカルチャーなど多ジャンルにわたり執筆。web Sportiva/週刊プレイボーイ/週刊ベースボール/集英社オンライン/文春野球/AERA dot./REAL SPORTS/etc...。現在Number Webにて横浜DeNAベイスターズコラム『ハマ街ダイアリー』連載中。趣味はサーフィン&トレイルランニング。鎌倉市在住

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