小林雅英は勝てば日本シリーズ進出の大一番で4点差を守れず逆転負け 娘からの「パパのバカ」のひと言に救われた (3ページ目)
04年からパ・リーグでプレーオフが導入され、レギュラーシーズンの上位3球団がリーグ優勝を目指して戦うことになった。しかし、ロッテは3位の日本ハムと0.5ゲーム差の4位に終わり、プレーオフ進出を逃した。
「その年は何度か抑えに失敗して、僕に勝ちがついた試合もあれば、負けがついた試合もあって。それを考えると、僕が1つ負けてなかったら3位だったっていうのを、そこで初めて感じて......。1勝に対しての執着心が出てきたんです。これはチーム全体、そうなったと思います」
【4点差を守れずまさかの逆転負け】
05年、序盤から投打が噛み合ったロッテは交流戦で初代王者となるなど、充実の戦力で快進撃。特に先発6人が2ケタ勝利し、薮田安彦、藤田宗一、小林の勝ちパターンが"YFK"と呼ばれた投手陣は強力だった。
そして1位のソフトバンクに4.5ゲーム差の2位でプレーオフに進出すると、第1ステージは西武に連勝で突破。第2ステージも第1戦から連勝して優勝に王手をかけた。だが、第3戦の9回裏、4対0とリードしてマウンドに上がった小林に異変が起きる。
「4点差って十分すぎる点差なのと、31年ぶりの優勝ってことと、その1勝へのリスペクトが強すぎたのか、思考をコントロールできなくて集中できなかったんです。チームメイトは僕が投げる、必ず抑えるってことでソワソワしている。『あっ、やばい。集中しなきゃ』と思っているうちに、先頭の(ホルベルト・)カブレラに追い込んでからセンター前。その後、悪送球して......そこから覚えてないです」
一死一、三塁となったあと、3連打を浴びて4対3。二死二、三塁となり、迎えた松中信彦を敬遠で満塁策も、つづくフリオ・ズレータに押し出し四球で4点差を追いつかれた。小林は降板し、延長10回裏、小野晋吾、藤田が打たれてサヨナラ負け。まさかの失敗となった試合後、小林はどう過ごしていたのか。
「ホテルに帰って、当時6歳の娘と電話で話した時に『パパのバカ』って言われて。そしたらポンって切り替わった。周りから『大丈夫?』とか『何で?』とか言われる前に『バカ』(笑)。こんな時もあるよね、と。それで明日のゲーム、僕が申し訳なさそうに体丸めてグラウンドに出たらチームに申し訳ないと思って、いつもよりも堂々と、偉そうに入っていきました」
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