武内夏暉の高校時代のベストピッチを恩師が語る 「打者が手も足も出ない状態」 (3ページ目)
武内も投球練習した八幡南高のブルペン photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る その"覚悟"を見た試合があった。昨年8月、大学日本代表の一員として臨んだ高校日本代表のU−18壮行試合で、寺地隆成(明徳義塾→ロッテ)を空振り三振に仕留めた直球は、当時の自己最速となる153キロをマーク。打者3人に投じた9球の直球はすべて150キロを超えていた。
「国学院さんでいい成長をしてくれたと思います。一気にというわけではなく、140キロ、145キロと段階を踏んで、4年生で150キロまでいったので、体への負担も少なかったのではないでしょうか」
【ベテラン捕手に感謝】
昨年ドラフトでは、3球団が競合の末、西武が交渉権を獲得。新人最高条件となる契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1600万円で入団。150キロでドラ1。有言実行で夢を叶えてみせた。
福盛監督は、武内がプロ入り後も連絡を取り合っている。今年の7月12日、八幡南高が夏の福岡大会4回戦で敗退したその日のナイターで、武内もプロ初黒星を喫したとあって「『八幡南が負けたから負けました』って連絡がきました」と笑う。
体重も入団時の93キロから100キロを超えたと聞いた時は、プロの環境のすごさに驚いた。途中、新型コロナ感染で離脱こそしたが、21試合に登板して10勝6敗、防御率はリーグ2位の2.27。ルーキーとして堂々たる成績を残し、1年間を戦い抜いた教え子を「すごく運がいいですよね」と評する。
「捕手との巡り合わせもありますよね。(全21試合中20試合でバッテリーを組んだ)炭谷(銀仁朗)選手が、長所をうまく引き出してくれたと思っています。ちゃんとお礼はしているのかな(笑)」
プロでどんなに活躍しても、教え子であることに変わりはない。今年以上の結果が求められる来季。福盛監督は「とにかくケガなく頑張ってほしい」とエールを送る。
「どうしてもケガをすると、そこで終わってしまうので。欲は言わずに、息の長い選手でいてくれることが一番です。ただ、まだまだ伸びしろはあると思っています」
同じ北九州市内の公立校出身である今永昇太(北筑高--駒大--DeNA--カブス)ですら、新人王のタイトルは獲れなかった。八幡南高から巣立った左腕は、今後どのような成長曲線を描いていくのか。地元の期待も一身に背負い、勝負の2年目へと向かう。
著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう
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