武内夏暉の高校時代のベストピッチを恩師が語る 「打者が手も足も出ない状態」 (2ページ目)
武内が八幡南高在籍当時の副部長だった大津敦司教諭 photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る「自分の感情を出すイメージはありません。いい時も悪い時も同じ形でやりきるというところが正直な印象です。高校時代、将来的にはプロでやりたいという思いをすごく持っていたと後日聞きましたが、それを表に出してやるわけではなく、自分のやるべきこと、しないといけないことがしっかりわかっていたんだろうと思います」
勉学面でも「真面目で、(野球部の練習で)力尽きて寝ているというのはいっさい見たことがありません」と振り返る。部活動が定期テスト前で休みの時は、勉強会にもしっかり参加。試験の結果が振るわず、居残り補習などで練習に参加できなくなることもなかった。
「今年の1月にウチの生徒の前で話してくれましたが、『あの勉強会はしんどかった』と言っていましたね(笑)。抜群にいいわけではありませんでしたが、成績で困ったことはありません」
【絶対にドラ1でプロに行きたい】
野球も勉強も手を抜くことなくやり切った高校3年間。大学入学前からコロナが流行し、多くの制限を受けたが、しっかりと練習を積み重ね、1年春には140キロを計測。2年秋にリーグ戦デビューを果たし、春秋連覇を達成すると、明治神宮大会では九州産業大(福岡六大学)との2回戦に先発し、8回二死までパーフェクトに抑える好投で無四球完封勝利を挙げた。
3年秋には4勝0敗、防御率0.68で2季ぶり優勝に貢献してMVPを獲得した頃には、最速も148キロに到達。戦国東都を代表する左腕に成長し、翌2023年ドラフトの目玉として注目された。
2022年末、福盛監督は実家に帰省していた武内と食事に出かけた。恩師として、大学入学後の成長度合いはもちろんうれしかったが、急激に出力が上がったことで、ケガのリスクが上がることも心配していた。
「彼には『そんなに球速を出さなくていいんじゃないの』と言ってしまいましたね。2年秋には140キロちょっとで九産大をピシャリと抑えたわけだし、スピードにはこだわらず、ドラ3くらいでプロに入れたらいいんじゃないかという話をしたら、彼は『絶対にドラ1でプロに行きたい』と言うんです。そのために150キロを出すことにこだわっていました」
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