阪神ドラ4・町田隼乙が振り返る「捕手失格」から這い上がったBC埼玉での3年間 (4ページ目)
BCリーグでの3年間を振り返り、町田が「あの時が一番苦しかったですね......」と吐露するシーンがある。2023年6月30日、試合前のシートノックで町田は三塁にいた。打撃を生かすためのコンバートを前提としたものだったが......スタメンで三塁の守備についたその日の試合で、ファンブル、悪送球と立て続けにエラー。さらに打球を顔に受け、しばらくアゴに違和感があった。
「その試合後、清田さんにすごく怒られました。『中途半端にやるな。投手もNPBに行くために必死なんだぞ』と」
さらに清田は「お前は捕手じゃないと無理だ。そこにこだわりを持て」と言葉を続けた。町田は迷いを捨て、「捕手一本でいく」と決意した。
その年、チームはBCリーグで初優勝を飾った、独立リーググランドチャンピオンシップにも出場したが、町田に調査書が届くことはなかった。
10月のドラフト会議の日、高校から5年間チームメイトだった金子が西武に育成4位で指名された。また、1年間バッテリーを組んだ芦田丈飛も、育成4位でオリックスへ。IPBL(日本独立リーグ野球機構)選抜としてみやざきフェニックスリーグに参加していた町田は、インターネット中継でそれを見守った。
もちろん悔しさはあった。だが、自分に足りないものがあるのもわかっている。そんな町田の運命を大きく変えたのが、その年のみやざきフェニックスリーグと、翌年の阪神二軍キャンプだった。
(後編:強肩強打の捕手・町田隼乙を飛躍させた「名将の熱血指導」と「プロの二軍キャンプ」>>)
【プロフィール】
◆町田隼乙(まちだ・はやと)
2003年4月3日生まれ、神奈川県出身。捕手。小学3年時に「秦野ドリームス」で野球を始める。大根中時代は「平塚ボーイズ」に所属。光明学園相模原高では甲子園出場なし。2022年からルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズに所属。強肩強打の捕手として活躍し、2024年のドラフト会議で阪神から4位指名を受けた。186cm・88kg。右投げ右打ち。
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