9回4点を追いつかれた江川卓は宇野勝に「騙すなよ」と言った ドラゴンズ史に残る伝説の1982年9月28日・巨人戦 (3ページ目)
「それまでのミーティングで、江川さんの攻略法をいろいろ言われたのですが、どれもダメでした。クセもわからなかったですね。野球人生でサイン盗みをしたことは一度もありません。ただ、クセがわかったピッチャーはいましたよ。あくまでクセがわかったので、攻略したというのはありました。とにかくあの試合は、プロ野球人生のなかでも非常に印象に残るものでしたね」
宇野にとって、江川というピッチャーはどういう存在だったのか。宇野は名門・銚子商業に入学し、1年夏はベンチ入りできなかったが、チームはエース・土屋正勝、4番・篠塚和典を擁して全国制覇を飾っている。江川の3歳下のため、高校時代に対戦したことはないが、江川がいた作新学院と銚子商業は練習試合を含めて計5試合やっており、因縁深い相手である。当時中学生だった宇野も、作新学院の江川を実際に見ていた。
「まず試合前、江川さんはホームから外野に遠投するんですけど、軽く投げているのにシュルシュルって伸びながら相手のミットに収まるんです。『すげぇな』っていう感覚で見ていました。要するに、江川さんのボールってスピン量が多いから垂れないし、だから高めの球で空振りが奪えるんです。真っすぐとカーブしかないのに、ストレートでそこまで空振りが取れるピッチャーは、やっぱり江川さんだけですかね。わかっていても打てないですから。だから、オールスター(1984年)で8連続三振とかできるわけですよ」
高校時代の江川の遠投は、もはや伝説化していると言ってもいいだろう。江川にとって試合前の遠投は、肩をならすためのルーティンであり、相手を威嚇するためのデモンストレーションでもあった。
これまで80メートルほどの遠投で、垂れずに一直線にボールが伸びていく軌道など一度も見たことがない。そんなボールがこの世に存在するのかと訝しながらも、"江川伝説"を直に見た者たちの話に吸い込まれる。そしていつも、"江川伝説"を語る者たちの目はキラキラ輝いている。宇野もそのうちのひとりだった。
(文中敬称略)
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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