「江川神話」崩壊の真実を中尾孝義が振り返る「サイン盗みは一切ない。だからこそ価値がある」 (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 この最終回の攻撃について、中尾ははっきりとした口調で答えた。

「サイン盗みは一切ない。ほかの球団はそういうのがあったというのは聞いたことがありますが、ウチはやらなかった。だからこそ、あの試合の価値が大いにあるんです」

 江川にしても、最終回に4点差を追いつかれたこと自体、最初で最後。「記憶に残る一戦だから、僕のなかでは」と言うように、"江川神話"が崩れたターニングポイントとなった試合だった。

 江川を打ち崩し、延長10回サヨナラ勝ちした中日にマジックが点灯。それでも巨人が最終戦の大洋(現・DeNA)に勝っていれば、どうなっていたかわからなかった。

【オールスターでの快投】

 その巨人最終戦は、江川が先発するも5回途中3失点でノックアウトされ、1対3で敗れた。それにより中日が大洋との残り3連戦で2勝すれば優勝というところで1勝1敗となり、迎えた130試合目に8対0で勝利し、8年ぶりのリーグ制覇を果たした。

 江川はしみじみ言った。
 
「中日戦の最終回に追いつかれて逆転された試合と、最終戦の大洋との試合が同じ年だとは思わなかった。先発が決まっていた最終戦の前日、『肩が痛くて投げられません』って監督の藤田(元司)さんに直訴したんだけど、『いや、明日投げてくれ』と言われ、案の定、打たれた」

 82年の中日の優勝のカギは、じつは江川が握っていたと言っても過言ではなかった。

 また中尾にとって、江川にまつわることでもうひとつ忘れられない出来事がある。1984年のオールスターで江川とバッテリーを組んだことだ。

 今からちょうど40年前、7月24日のオールスター第3戦で4回からセ・リーグの二番手で登板した江川は、パ・リーグの強打者相手に8連続奪三振を達成したのだ。

「あの試合は真っすぐがすごくよくて、低めより絶対高めのほうがいいと思って、ほとんど高めに構えました。もちろん、低めも糸を引いたようにズバッとくる。ふつう、低めの真っすぐは垂れるのでミットを下から上に上げながら捕球するんだけど、いい時の江川の低めの真っすぐは自然とミットがポンと上がるんです。とにかく速かった。オレがプロで見たなかで一番速かったなぁ、あの時が」

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