篠塚和典が分析する「青い稲妻」松本匡史のすごさ ホーナーの本塁打を「アシスト」した逸話も (3ページ目)
【神宮球場で起きた「本塁打アシスト」】
――松本さんはダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を3度受賞されていますが、外野の守備はいかがでしたか?
篠塚 足が速くて守備範囲が広いので、センターでもレフトでも、ある程度の打球には追いついていました。ただ、肩はそれほど強くありませんでしたね。それと、ボールを捕るときのハンドリングをあまり得意としていなかったので、多少の不安はありました。
――松本さんは入団当初は内野手で、3年目に外野手にコンバートされました。その影響は感じましたか?
篠塚 内野手と外野手ではフライの捕り方に違いがあるので、フライを捕る時に少し不安があったような気もします。内野手は高いフライを"待って捕る"ことが多く、フライを"追いかけて捕る"ことがあまりない。それが外野手の場合は、長い距離を走ってフライを捕るケースが増えますよね。外野にきたゴロを走りながら捕ることは、内野手の経験があれば全然問題ないと思いますが、フライは質が違いますから。
フライといえば、神宮球場でのヤクルト戦(1987年6月2日)で、レフトを守っていた松本さんがボブ・ホーナー(メジャーのストライキの影響もあって来日した、現役バリバリのメジャーリーガー)のフライを捕ろうとした時に、グラブで弾いてスタンドに入れちゃったことがありましたね(記録上はホームラン)。
――ホーナー選手の打球は打った瞬間は打ち損じのレフトフライという感じでしたが、徐々に伸びていきましたね。
篠塚 そうですね。松本さんはジャンプして捕ろうとしたのですが、グラブの先っぽのほうに当たってスタンドにトスしてしまう形になった。非常に珍しいプレーだったので、印象に残っています。
(後編:1番・松本匡史がいたからバッターボックスで「楽しめた」こと>>)
【プロフィール】
篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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