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基満男と関根潤三の「冷戦」はある住職からの「おまえの三振が見たい」で終止符が打たれた (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi

【ピンチヒッター転向を拒否】

 その後も関根と基の緊張状態は続いた。シーズン中のある日、基は監督室に呼ばれた。一対一で腹を割って話す機会が訪れたのである。

「この年のペナントレース中、プッツンきて、関根のオッサンとケンカしたよ。頭に来てるから、よぉ覚えとらんけど、1時間ぐらいオッサンの話を聞いた。内容は覚えとらん。オレから言わせれば、『よぉ、黙って1時間も話を聞いとったな』って、自分を褒めたいぐらいや。本当なら『やかましい、黙っとれ!』って言いたいところだったから(苦笑)」

 この時、関根が基に説いたのは「代打としての重要性」だった。試合終盤、チャンスの場面で登場する勝負強いベテランの存在はチームに不可欠だ。関根は、基にその役割を求めたのである。基が続ける。

「オッサンに『ピンチヒッターとして頑張ってほしい』って言われたから、『イヤや』って言ったよ。その後、コーチだった近藤(和彦)さんからも、『基、頼むから代打でいってくれ』って言われたけど、オレは断ったよ。自分で(スタメンで)出さないと決めておいて、『(代打で)出てくれ』と言われても、出さないと決めたのはそっちやろ。試合に出る、出ないを決めるのは、せめてもの選手の権利やろ」

 頑固である。しかし、それが腕一本で生き抜いてきたプロとしての矜持でもあった。その後も首脳陣による説得が続いたものの、基は頑として受け付けなかったという。当時は自覚していなかったけれど、今となっては、「なぜ、自分がそこまで意地になっていたのか」、思い当たることがあるという。

「今から思えば、名球会を意識していたのかもしれんね。当時は1700本近く打っていたから、2000本という意識があったのかもしれん。誰にも邪魔されなかったら、到達する可能性もあったから。そういうこともあって、余計に腹を立てていたのかもわからんね」

 関根と基との「冷戦」に終止符が打たれたのは、数カ月後のことだった。九州時代の後援者を通じて知り合った住職から、「おまえの三振が見たい」と言われたことで考えを改めるきっかけを得た。さらに、若手選手がこの件を話題にしているのをふと耳にしたことで、考えは決まった。

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