今中慎二が振り返るイチロー、落合博満との対戦秘話 プロ野球史に残る天才打者たちは何が違った? (4ページ目)
――落合さんに苦手意識はありましたか?
今中 キャリア通算の対戦成績はわからないのですが、"やられている"と思います。それは被打率が高いという話ではなく、大事な場面でどれだけやられたか、ということ。どうでもいい場面で打たれる分にはいいのですが、「10.8決戦」のような場面でどれだけ打たれたか。1994年も、「10.8決戦」までにどれだけ抑えていても、リーグ優勝が決まる試合で打たれたら元も子もないです。
苦手意識がある打者には、あえてフォアボールを出すこともありました。やはり大事な場面で打たれるか打たれないかは、勝敗に直結するので。逆に4割打たれていようが、大事な場面で抑えられる打者はそれでいいと思っていました。
――ちなみに以前のインタビューで、落合さんがFAで巨人に移籍する前に「対戦する時はカーブを狙う」と言われたと話していましたね。
今中 そうですね。それとプロ入り2年目の時、一軍キャンプのシートバッティングで「カーブを投げてくれ。ライト前に打つから」と言われたことがあったのですが、そのとおりに簡単にライト前ヒットを打つんです。そのイメージも残っていましたし、やっぱり落合さんみたいな人に言われると頭にずっと残っちゃうんですよ。
――カーブは投げづらかったですか?
今中 ヒットを打たれてもいい状況であれば、まったく気にせずにカーブも投げていました。ただ、大事な場面ではやっぱり投げづらかったです。それが「10.8決戦」でも出たのかはわかりませんし、自分との戦いでもあるんですが......落合さんとの対戦はそういった心理戦も含めて印象に残っています。
――ほかに印象に残っている打者はいますか?
今中 元広島の前田智徳ですね。
――イチローさん、落合さんが「天才」と評した前田さんですか! 後編でゆっくり伺えたらと思います。
今中 わかりました。
(後編:天才たちが認める天才・前田智徳のバッティングとは 「ほかの打者と対峙している時にはない感覚」>>)
【プロフィール】
◆今中慎二(いまなか・しんじ)
1971年3月6日大阪府生まれ。左投左打。1989年、大阪桐蔭高校からドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。2年目から二桁勝利を挙げ、1993年には沢村賞、最多賞(17勝)、最多奪三振賞(247個)、ゴールデングラブ賞、ベストナインと、投手タイトルを独占した。また、同年からは4年連続で開幕投手を務める。2001年シーズン終了後、現役引退を決意。現在はプロ野球解説者などで活躍中。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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