元巨人広報が見た清原和博の苦悩 「好きなチームに入ったのに、どれだけ窮屈さを感じていたか...」 (5ページ目)

  • 木村公一●文 text by Kimura Koichi

── 選手で言えば、清原和博さんがFAで入団したときも香坂さんが窓口となり、仕切っていたんですね。

香坂 長い歴史があるなかで、巨人というチームはこれまで多くの選手が入りたい、入って活躍したいと思うチームだと思うんです。結果、夢が実現した選手もいれば、叶わなかった選手もいる。そうした大勢のなかで、おそらく巨人に対する想いがもっとも強かったのが、清原だったと思うんです。そしてFAという形で夢を実現させた。ところが、一番好きなチームなのに、一番苦労もする場所に入って来ちゃったのではないか......(笑)。そんな風に感じましたね。どれだけ窮屈さを感じていたか、僕は心配しました。もっと自分の思いどおりに自由にやりたかったのだろうけど。でも、それが巨人というところだったからね。

── 文字どおり、皮肉な運命というか。

香坂 そのひとつがマスコミ対応です。活躍はしたけど、メディアにはあまりしゃべりたくないっていうのは、通用しないチームなんでね......。ある時、キヨが丁寧すぎるほどちゃんと記者の囲みに応対している姿を見た時、こう言ったことがあるんですよ。「キヨ、大変か?」って。そしたら少し笑って「修業だと思ってます」って返してきたんです。えっ?と驚いたけど、憎いこというなぁと(苦笑)。彼なりに精一杯やっているんだと思うと、あの怖い顔でもなんとか応援したくなった。大変なことはいっぱいあったと思いますが、やっぱり巨人に入るべき人間だったと思いますね。松井秀喜とはまったく対照的なタイプでしたが......。

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香坂英典(こうさか・ひでのり)/1957年10月19日、埼玉県生まれ。川越工業高から中央大を経て、79年ドラフト外で巨人に入団。4年目の83年にプロ初勝利を挙げるも、翌年現役を引退。引退後は打撃投手をはじめ、スコアラー、広報、プロスカウトなどを歴任。2020年に巨人を退団し、21年秋からクラブチームの全府中野球倶楽部でコーチを務めている

  『プロ野球現場広報は忙しかった。 裏方が見たジャイアンツ黄金時代』(ベースボールマガジン社刊)

1980年、中央大からあこがれの巨人入団を果たすも、 5年で戦力外に。 しかし、それが長くて楽しい? 裏方人生のスタートでもあった。 打撃投手、スコアラー、そして第2期長嶋茂雄監督時代がメインだった現場広報……。 さまざまな役職を務めながら、 ジャイアンツを支え、ジャイアンツとともに生きた著者・香坂英典氏が、華やかな表舞台の裏側にあった「裏方の裏話」を綴る。

【CONTENTS】

初めに

第1章 われらの「生きる教科書」長嶋茂雄監督

第2章 僕がジャイアンツに入るまで

第3章 ジャイアンツでの青春時代

第4章 楽しかった先乗りスコアラーの仕事

第5章 広報時代、松井秀喜という男

第6章 愛すべき、そして素晴らしい選手たち

第7章 敵? 味方? 報道陣の話

第8章 そして今、野球を楽しみ、野球とともに生きる

終わりに

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プロフィール

  • 木村公一

    木村公一 (きむらこういち)

    獨協大学卒業後、フリーのスポーツライターに。以後、新聞、雑誌に野球企画を中心に寄稿する一方、漫画原作などもてがける。韓国、台湾などのプロ野球もフォローし、WBCなどの国際大会ではスポーツ専門チャンネルでコメンテーターも務める。

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