元巨人広報が見た清原和博の苦悩 「好きなチームに入ったのに、どれだけ窮屈さを感じていたか...」 (3ページ目)

  • 木村公一●文 text by Kimura Koichi

── とはいえ、「守るだけ」「断るだけ」が当時の巨人広報ではなかった。

香坂 スポーツ報道も、本来の趣旨から外れた切り口で取り上げられることも少なくなかったので、チームを守っていくということを前面に出す時代もありましたが、守りすぎると閉鎖的なイメージばかりが強くなってしまう。難しいところではありますが、ファンのみなさんに喜んでいただけるのは巨人というチーム、そしてその選手の魅力がしっかりと伝わることです。それにはまず勝つことが前提にあり、このバランスがうまく取れていくのが理想だと考えていました。シーズンオフにはスポーツ選手と芸能人の境目がハッキリしないテレビ番組の演出依頼もあり、「野球選手がチャラチャラするな」という意見もあれば、逆に「親近感が湧くこんな愛すべき一面もあるんだ」という意見もあったりする。多くのファン層から支持を受け、もっと野球を、巨人軍を知ってもらうということから考えれば、広報担当者は柔軟な対応ができないといけないと考えるようになりました。

── 著書のなかでも、選手を育てるのはコーチだけでなく、記者も育てるとあります。

香坂 とにかく巨人みたいな人気チームに入ってチヤホヤされると、大きな勘違いをする選手も少なからずいるわけですよ。僕だってその環境に身を置きました。大体、コーチや先輩選手に導かれていくものだけど、それは記者も一緒だと思ったんです。とくに人生経験豊かなベテラン記者ともなれば、日頃の取材活動だけに捉われず、選手自身のことを思い「おい、それちょっと違うぞ」と選手をたしなめてくれる人が昔はいたんです。僕はそういう光景を見てきました。

── かつては家族以上に接している時間が長かったりしましたからね。

香坂 選手と巨人担当メディアの仲はいい時もあれば、喧嘩したりすることもあったけど、そういうベテラン記者の人たちが、ときにはメシに連れて行ってくれて、バカ話することもあれば説教をすることもあった。巨人担当メディアと取材対象者の距離が理想的な時代でした。でも選手とマスコミの距離が近すぎるのもよろしくないということもあり、僕ら広報担当者は常にその距離感にはいつも注意しながらシーズンを送っていました。

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