法政大野球部の理不尽なしごきで限界に達した江川卓は、拳を握りしめ先輩に殴りかかろうとした (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 大学に入ってからの江川は、特別扱いされるどころか、むしろ目の敵にされた。とにかく誰かが失態を犯すと、連帯責任として同学年全員が集められる。ある真冬の夜、江川を含めた2年生全員が"集合"となった。

「風呂場が汚い」と言いがかりをつけられ、全員が風呂場のタイルの上で正座をさせられた。そこから長い説教が始まり、最後はタイルに水をまかれ、足の痺れと寒さで気が狂いそうになったという。

 そんな体育会特有の理不尽なしごきに耐えていた江川でも、さすがに我慢できないことがあった。上級生がコーラをひと飲みしたあと、その容器に唾を吐き「おい、これを飲んでみろ!」と命じられた。その瞬間、江川は拳を握りしめたが、金光がそれに気づき、上からそっと抑えたという。

 そうした上級生の理不尽な攻撃に耐えながら、江川たちの世代は一致団結した。「自分たちが法政大の野球部を盛り立てるんだ」という気概を持ち、秋のリーグ戦に臨んだ。

(文中敬称略)

後編につづく>>


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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