法政大野球部の理不尽なしごきで限界に達した江川卓は、拳を握りしめ先輩に殴りかかろうとした (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 だからスタミナ面も考慮し、むやみに三振を取りにいく力投型より、要所で全力投球する"省エネ"ピッチングに切り替えたのだ。大学時代、江川が本気で投げるのは、1試合に5、6球程度だと言われていた。

 江川と同じ「花の49年組」の徳永利美はこう証言する。

「ランナーがセカンドに行ってから力を入れて投げていた。それでも本気じゃなかった。でも簡単に抑えてしまうんだから、ほんとすごいよね」

 誰もが江川のすごさを目の当たりにして、同級生はもちろん、上級生たちも今まで見たことがない才能の持ち主にひれ伏すしかなかった。

【3敗を喫して優勝を逃す】

 江川は春季リーグ開幕カードの東大戦に先発し、4安打完封。チームも16対0と圧勝するなど幸先のいいスタートを切った。そして2回戦も4対1で勝利。江川は8回途中からリリーフとしてマウンドに上がり、無安打無得点に抑えた。

 つづく早稲田大戦は3戦までもつれるも、第1戦、第3戦に先発した江川は、2試合とも3対1の完投勝利を飾り、法政大に貴重な勝ち点をもたらした。

 だが次戦 、"打倒・江川"に闘志を燃やす明治大監督の島岡吉郎の前に屈することになる。第1戦で江川は延長10回をひとりで投げるも、10安打を浴び3失点し、2対3で惜敗。つづく第2戦も江川が先発し、5回を投げ4安打1失点。チームも序盤から得点を重ね、8対2で勝利。そして第3戦、またしても先発した江川だったが、相手投手に本塁打を許すなど、9回7安打4失点で負け投手に。明治大に勝ち点を奪われてしまう。

 このシーズン、江川は慶應大戦の2回戦でリリーフ登板するも負け投手になっており、通算8勝3敗の成績で終わっている。結局、明治大が完全優勝を成し遂げ、法政大の連覇の夢は潰えた。

 江川の野球人生を振り返るうえで、全盛期は3回あったと言われている。ひとつはスピードに関して、間違いなく江川の野球人生のなかで一番速かったと言われる高校2年の秋である。そして球のキレ、コントロールなど精度として最も高かったのがプロ3年目の1981年。あとひとつは、8勝3敗で終えたこの大学2年春である。

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