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法政大野球部の理不尽なしごきで限界に達した江川卓は、拳を握りしめ先輩に殴りかかろうとした (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 受験勉強の影響で体重が増大し、大学1年の間は体を絞ることに専念。2年になり、大学仕様のエンジンに切り替え、ようやく調子を取り戻しつつあったという感じだったのだろう。圧倒的な成績は残っていないが、たまに全力投球したボールのすごさは圧巻だったという。底知れぬポテンシャルを秘めた江川に、誰もが輝かしい未来が待っていると思っていた。

【上級生からの理不尽なしごき】

 そんな江川を悩ませていたのが、上級生からのしごきである。「花の49年組」も2年生となり、1年時のような厳しい生活はなくなるかと思っていた。ところが、2年生部員があまりにハイレベルなため、「法政に入ってもレギュラーになれない」と新入生がほとんど入ってこなかった。そのため2年生になっても、1年生の時のような扱いが続いた。

 1年秋からレギュラーの金光が、当時を振り返る。

「僕たちの代は、1年秋から江川を含めて3、4人がレギュラーとして試合に出ていたので、上級生たちは面白くなかったんでしょうね。いわゆる"集合"のやり玉にされていました。ユニフォームを着られない上級生はもちろん、ベンチに入っている上級生からも目をつけられて......今じゃ考えられない時代です」

 集合──昭和40年代の高校・大学野球界では、ある種の共通語として認識されていた言葉である。地域によっては、"説教"とも言われ、要するに上級生から執拗なしごきを加えられることである。

 作新学院の江川の同期で、日本大に進んだ鈴木秀男は次のように語る。ちなみに、法政大の東京六大学と日本大の東都大学はリーグが別だが、時折、鈴木は江川から麻雀の誘いを受けていた仲だった。

「作新でも"キラキラ"と呼ばれるしごきがあって、中腰になり、両手を胸元まで上げ、手のひらと甲を回転させるんです。集合がかかると、先発から『キラキラやれ!』と。途中でだるくなって手を休めると、『おい、光ってねぇぞ!』と言って殴られる。光るわけねぇだろうって(笑)。あとアスファルトの上でヘッドスライディングとかもありましたね。ところが江川は特別扱いされていたから、これらはやってない。でも、大学に行ってからは大変だという話を聞きました」

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