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大学2年秋に悲鳴を上げた江川卓の右肩は「以来、100%元に戻ることはなかった」 (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 大学関係者はもとより、プロ野球の関係者もショックを隠しきれない。高校1年からの勤続疲労に加え、大学のリーグ戦でも八面六臂の活躍。江川の肩が悲鳴をあげても、なんら不思議ではなかった。

 法政大にとっては"江川頼み"というか、優勝のためにはフル回転してもらうしかなかった。江川自身もそれを意気に感じて、黙々とチームのために投げ続けていた。

 新宿の小守スポーツマッサージ院の治療師・井上竜夫は「肩甲骨周辺の筋肉痛。1週間もすれば元に戻る」とメディアにコメントした。関係者一同はその報告に胸をなでおろした。しかしそれ以降、馴染みの記者たちが江川に「肩の調子はどう?」といくら聞いても、「何ともありません。大丈夫です」の一点張りで、箝口令が敷かれているようだった。必要以上の警戒ぶりは誰の目にも明らかで、重症説が出たほどである。

【筋肉痛ではなく剥離骨折だった】

 のちに明らかになったことだが、この時の筋肉痛はじつは剥離骨折だった。しかもこの剥離骨折以来、肩の万全な状態に二度と戻らなかったと江川は漏らしている。

 診断が出た以上は、肩を錆びつかせないよう、注射を打ちながら安静につとめるなど、万全の治療体制で臨んだ。

 高校時代から登板過多で、とくにセンバツ大会が終わってから毎週末は練習試合で、遠征も多かった。それが4カ月近く続き、夏の県大会、そして甲子園大会。肩がおかしくならないほうが不思議なほど、投げ続けた。

 大学に入ってからも1年秋からエースとして八面六臂の活躍をし、勤続疲労があって当然。むしろ剥離骨折ですんでよかったとさえ思える。

 だが江川自身によれば、剥離骨折以降、右肩の調子は100%戻ることはなかったという。ただ実際は、大学3年の春季リーグから再び主戦として投げているし、プロに入っても4年目の夏頃までは投げ続けていた。いったい、どういうことなのだろうか。

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