法政大の練習初日に力士のような体で現れた江川卓に指揮官は「なんて体してやがるんだ......春は使えんな」 (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 そんな佃だが、高校時代からの持病であった右膝痛が悪化。ただ、このケガのことは大学時代から付き合っていた妻の朱美にしか打ち明けていなかったが、一度だけポロッと漏らしたことがある。

「自分としては、フォームを変えたくなかったんだよなぁ」

 佃が生涯で唯一、野球について語った悔恨の言葉である。

 大学に入ってからは、右膝が痛むのか、突っ立って投げている感はあった。

 74年5月26日、春のリーグ戦の東大戦で先発した佃は、1回1/3を投げて3失点(自責点3)で負け投手になっている。これが大学時代の唯一の先発であり、最後の登板でもあった。

 それでも希望を捨てず、ひたすら練習を繰り返す不屈の男であった。

(文中敬称略)

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江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

著者プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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