江川卓から放った1本のホームランで人生激変 宮崎実業の石淵国博はドラフト7位で広島に指名された (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 打った瞬間、抜けるとは思ったが、まさか入るとは思わなかったという。ボールは満員のレフトスタンドに入る2ランホームラン。

「あの試合、僕だけ三振してないんですよ。最後の打席はカーブを1球も投げず、ストレートだけ。正直、三振を取りにきたと思います。結果は、ヒット性の当たりのセンターライナーでした。前の打席でホームランを打たれているから、本気で投げてきたはず。このセンターライナーのほうがはっきりと覚えています」

【今も語り継がれる伝説の一発】

 ある野球関係者から聞いた話だが、高校時代の江川からヒットを打った全打者を、プロだけでなく、大学、社会人の関係者もリストアップしていたという。石淵も江川からホームランを打ったため、予想もしなかった道に進むことになる。

「江川からホームランを打たなければ、宮崎の田舎で注目されることもなかったでしょうね。ホームランを打ったために存在が知られ、プロに行くことになったんですから。たった1本のホームランだけれども、これで予想もつかない経験をさせてもらったのが実感です。人生の半分は、江川のおかげですね」

 現在、石淵は68歳。時折、その下の世代が「江川さんからホームラン打ったんですよね」と声をかけてくれるという。人から人へと回り、江川世代よりもずっと下の世代まで伝説は伝わっていった。

 江川は高校進学の際も、周りの球児たちの進路に影響を与えていた。意図的にやったことではないが、それほど江川という存在が他人の人生を変えてしまうほどのパワーを宿していた。

 その江川だが、高校卒業後については早くから大学進学を表明し、プロ入り拒否の姿勢を示していた。しかし、ドラフト会議では阪急(現・オリックス)が1位で指名するも、江川は屹然と拒む。かねてから希望だった東京六大学へ進学のため、ドラフト会議などそっちのけで猛勉強に励んだ。

(文中敬称略)

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江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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