早稲田大を蹴ってドラフト6位で大洋入り 屋鋪要が明かす「スーパーカートリオ」命名秘話「長嶋さんが......」 (3ページ目)
大洋、巨人で18年間プレーした屋鋪要氏 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── 屋鋪さんはプロ入り当初、盗塁に興味がなかったと聞いています。
屋鋪 高校時代から遠くに飛ばすことが快感でした。「野球の華は本塁打」という考え方です。プロ1年目の78年が横浜スタジアム開場ですが、打撃練習でスタンド上段やバックスクリーンまで飛ばしていました。野球の指導をする時も、スイッチヒッターや俊足打者に対しても「基本はレベルスイング。打球を転がすのではなく、バットの芯に当てて、強い打球を打ちなさい」と言っています。
── 84年から5年連続ゴールデングラブ賞に輝いています。
屋鋪 私の「動物的勘+ポジショニング」の賜物です。投手の配球と打者のタイプから打球方向を1球1球、考えていました。うまくハマったときは、普通なら捕れない打球にも追いつくことができました。守備の名手と言うと、平野謙さん(中日ほか)の送球、飯田哲也くん(ヤクルトほか)の守備範囲、新庄剛志くん(阪神ほか)の強肩などが思い浮かびます。
── 大洋時代に仕えた監督は、16年間で8人です。別当薫さん、土井淳さん、関根潤三さん、近藤貞雄さん、古葉竹識さん、須藤豊さん、江尻亮さん、近藤昭仁さん。それぞれの野球の印象は?
屋鋪 一番印象深いのは、近藤貞雄さんです。近藤さんのポリシーとして「選手と一対一で話さない」というものがあったそうで、そんなに長く話したことはありません。「選手に情を移さない」というのが、その理由らしいです。近藤さんは審判に抗議することも多かったのですが、当時はおとなしい選手が多く、監督自らチームを鼓舞していたのかなと感じていました。個人的には、6、7番を打っていた私を3番に抜擢してくれた。おかげで85年はプロとして一人前の成績を残せました。感謝しています。
【王貞治監督に巨人入りを直訴】
── 89年に当時巨人の監督だった王貞治さんにトレードで獲得してほしいと直訴したとか?
屋鋪 台湾料理の店で食事をしていると、店員さんが「今晩、巨人の王監督やコーチ陣の方の予約が入っているよ」と教えてくれたのです。一度、宿舎に戻ったあと出直して、店で待ち構えました。「王さん、巨人に引っ張ってください」と。すると王さんは「屋鋪くん、君の気持ちはよくわかったよ」と言ってくださいました。
3 / 4