「まるで詰め将棋」自信家の新谷博が唯一「この人には勝てない」と絶賛した投手がいた

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

新谷博インタビュー(後編)

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 西武入団後も順調に白星を積み重ねていった新谷博氏。94年から3年連続2ケタ勝利を挙げ、同年は最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、西武が誇る強力投手陣でも中心的存在として活躍。そんな新谷氏が「この人には勝てない」と思った投手がいたという。

プロ3年目の94年に最優秀防御率のタイトルを獲得した新谷博氏(写真左) photo by Sankei Visualプロ3年目の94年に最優秀防御率のタイトルを獲得した新谷博氏(写真左) photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【最優秀防御率のタイトルは勲章】

── プロ1年目から先発投手として活躍されましたが、3年目はリリーフも経験されています。

新谷 プロ3年目というのは、オフの自主トレで左右の違いはあるのですが、工藤公康さんの"クロスファイアー"の軌道を習得しました。右投手なら左打者の膝もとに投げ込むボールです。そのボールのおかげで、先発としてさらなる飛躍の予感がありました。ただこのシーズンは、小野和義(近鉄を自由契約)と村田勝喜(渡辺智男とのトレードでダイエーから移籍)が加入しました。ふたりとも先発完投型なので、シーズン前半は私がリリーフに回りました。その年は、中継ぎ、抑え、先発......何でもやりました。

── その3年目は最優秀防御率のタイトルを獲得しました。

新谷 最終的に規定投球回に到達しましたからね。その年は本当によく投げたと思います。勝敗はチームの成績に左右されるのでそんなに気にしませんが、私は「防御率こそ投手本来の実力」と考えるタイプですので、タイトルを獲れたことはうれしかったですね。10年間のプロ生活で一番の勲章です。

── 自信をつかんだきっかけは何だと思いますか。

新谷 94年4月のダイエー戦で、1点リードながら二死満塁、フルカウントで捕手の伊東勤さんのサインに首を振り、松永浩美さんを空振り三振に打ちとりました。自分でボールを選択して抑えることができたことで、自信めいたものが生まれました。それ以降、伊東さんのサインに首を振ることをあらためて許されました。

── 94年から3年連続2ケタ勝利を挙げ、プロ5年目の96年は開幕投手に抜擢されました。

新谷 じつは3年目にタイトルを獲って、4年目の95年に「開幕投手をやれ」と指名されたんです。でも、大学時代に開幕投手を任され"イップス"になったトラウマもあって、お断りしました。郭泰源さんもいましたからね。

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