江川卓は6割の力で投げてノーヒット・ノーラン3回 唯一本気で投げた幻の1球があった (2ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 フォームに関しても、高校1年、2年に比べるとダイナミックさがなくなり、全体的に小さくなっていった。1年前はテイクバックが大きく、巨躯がさらに大きく見えるほどの力感があった。だが高校3年になると、手投げのような感じで、右腕の振りも小さくなっていた。

 センバツ大会以降、夏の県大会までに招待試合、沖縄国体、関東大会など、全国の強豪校と対戦し、作新学院は27戦24勝2敗1分。2敗は、沖縄国体の岩国高(山口)と親善試合での那須工業高(栃木)のみ。那須工業戦は先発して4回を無失点に抑え降板し、そのあとリリーフ陣が失点し敗戦。実際、江川が黒星を喫したのは岩国戦のみだった。

【県大会5試合すべて満員御礼】

 そして最後の夏の甲子園をかけた県大会が始まった。

 作新学院が登場する日は警備員の数を3倍に増員し、車での来場者も激増したため、隣接する軟式野球場を開放して臨時駐車場にするなど万全を期した。

 準決勝では徹夜組が約100人、決勝戦は悪天候にも関わらず150人以上の徹夜組が出た。地方大会で徹夜組が出るなど前代未聞である。

 試合開始の2時間前には入場券が完売し、球場内は立錐の余地がないほど人で溢れかえった。

 球場周辺の道路は朝から渋滞が続き、球場関係者によると「プロ野球の巨人戦もやりましたが、その時など比べものにならないほどの人気です」とのことだ。栃木県営球場の収容人数は15000人であり、江川が投げた5試合の入場者を見ると、初戦の真岡工業が18000人、2回戦の氏家が15000人、準々決勝の鹿沼商工が15000人、準決勝の小山が15000人、そして決勝の宇都宮東が17000人と、5試合で80000人もの観客を集めた。

 マスコミの数も凄まじく、準決勝は約50人、決勝はカメラマンも含め100人以上が詰めかけた。だが江川は、勝ち続けるごとに口が重くなっていった。

 準決勝の小山戦のあと、群がる報道陣の矢継ぎ早の質問に辟易している様子がうかがえた。

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