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荒木雅博「もうどうにでもなれと送球した」日本シリーズ初の継投完全試合のラストプレーで「じつはボールをうまく握れていなかった」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 多くの投手と対戦してきたと思いますが、ベスト3を挙げるとすると?

荒木 まずダルビッシュ(有)投手は、ストレート、スライダーをはじめ多彩な変化球があり、どの球種もカウント球、勝負球に使えるのがすごかったです。あの"継投・完全試合"になった2007年の日本シリーズ第5戦、日本ハムの先発がダルビッシュ投手でした。快挙で印象は薄れていますが、7回を11奪三振、1失点の快投。私も3打数ノーヒットでした。

── ふたり目はどの投手ですか。

荒木 黒田(博樹)さんは150キロのストレートとスライダーが武器で、真ん中に投げ込んだ球がいい具合に散る。ストライクゾーンで勝負できる投手で、無駄な四球を与えない。ボールに力があり、攻略するのが難しい投手でした。日本球界復帰後も対戦しましたが、"バックドア""フロントドア"と呼ばれる変化球を駆使し、力強さにうまさが加わりました。

── 最後はどなたですか。

荒木 館山(昌平)投手です。右のサイドハンドから威力のあるストレートとシュートは強烈でした。なかなか踏み込ませてもらえない投手でしたね。3人の投手に共通するのは、150キロ台のストレートと球のキレですね。とらえたと思っても前に飛ばない。打つのが大変な投手でしたね。

── 現役時代を振り返って、うれしかったこと、逆につらかったことは何ですか。

荒木 一番うれしかったのは、2007年の日本シリーズで最後の打球を処理し、53年ぶりの日本一を達成したことです。4度リーグ優勝を経験させていただきましたが、日本一の美酒の味は別格でした。逆につらかったのは、プロ入りして4年目、5年目あたりですね。自分がプロでどうなるかわからない、暗中模索の時期でした。今となってはいい思い出ですが、当時はキツかったですね。

── 将来はどんな指導者になりたいですか。

荒木 強制しない、選手それぞれに合った指導ができるようになりたいですね。その考えは誰かに影響されたというわけではなく、これまで野球をやってきたなかで培ってきた感覚です。今後、自分のなかで目指すべき野球の方向性が固まっていくと思います。そのために外から野球を勉強したいと考えています。


荒木雅博(あらき・まさひろ)/1977年9月13日、熊本県生まれ。熊本工高から95年ドラフト1位で中日に入団。02年からレギュラーに定着し、落合博満監督となった04年から6年連続ゴールデングラブ賞を受賞するなど、チームの中心選手として活躍。とくに井端弘和との「アラ・イバ」コンビは中日黄金期の象徴となった。17年にプロ通算2000安打を達成し、翌18年に現役を引退した。引退後は中日のコーチとして23年まで指導し、24年から解説者として新たなスタートを切った

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