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岩隈久志が語る近鉄消滅後に楽天を選んだ理由「人として育ててもらった」仙台での思い出 (4ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

 そのシーズンオフに右肘の軟骨を除去して臨んだ翌2008シーズン。チームを指揮する野村克也監督(当時)に「言葉で言われることは少なかったですが、『信頼される選手になるにはどうしたらいいか?』を問われ続けた1年だった」という岩隈は、21勝を挙げて4つのタイトルを獲得(最多勝、最優秀防御率、MVP、沢村賞)し、見事な復活を果たした。

「『自分自身が変わらなければ、野球人生が終わってしまうかもしれない』という思いで臨んだシーズンでした。そして、苦しい時に応援してくれたファンのみなさんに恩返しをするために『マウンドで戦う姿を見せよう』と。楽天では2012年まで7年間戦わせてもらいましたが、仙台の地で『人として育ててもらった』思い出は、今でも忘れることができません。楽天時代に培った野球観があったからこそ、39歳まで現役を続けられたのかなと今でも思っています」

(後編:メジャーで感じた「文化の違い」と少年野球の指導者として大切にしていること>>)

【プロフィール】
岩隈久志(いわくま・ひさし)

1981年4月12日生まれ。1999年にドラフト5位で近鉄に入団。2年目に初勝利、2003年に15勝を挙げるなどエースとして台頭。2005年には楽天に移籍して初代開幕投手を務めた。日本球界で通算107勝、沢村賞1度、最多勝2度など多くのタイトルを獲得。2012年にメジャーリーグのマリナーズに移籍し、7年間で63勝をマーク。2015年にはノーヒットノーランを達成した。2018年オフに巨人に移籍して日本球界に復帰し、2020年シーズンをもって現役を引退。2021年にマリナーズの特任コーチに就任。同時に、中学硬式野球チーム「青山東京ボーイズ」のオーナーを務めながら指導を行なっている。

【取材協力】(株)PACE Tokyo、秋山高志

著者プロフィール

【写真】現在の岩隈久志フォトギャラリー 少年野球の指導で自らノックも

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