最多勝投手から裏方、そして独立リーグの指導者へ 藤井秀悟「プロ野球という夢を追う選手の手助けをできれば」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 裏方に回ることへの抵抗はなかったですか?

藤井 4球団を渡り歩くなど苦労してきたので、変なプライドはありませんでした。若手の打撃練習に投げたり、ティー打撃でボールを上げたり、球拾いすることも苦ではありませんでした。高校と大学でそれぞれ1回、プロでも2回と、4回もヒジの故障を経験しているので、むしろ投げる仕事ができることはうれしかった。

 高橋由伸さん、井端弘和さん、阿部慎之助、坂本勇人ら一流打者にティー打撃の球を上げていると、打撃コーチのアドバイスの言葉が聞けます。打者側の視点を聞けるのは新鮮でした。またキャンプの個人練習を手伝っていると、技を磨こうとする「一流選手の一流選手たるゆえん」が見えてきます。打者から「今日の自分はどうでしたか」と尋ねられることもありました。だから、バッティングピッチャーが"天職"だと思ったほどです。

【10年間ブログを更新し続けたワケ】

── 2020年からDeNAのバッティングピッチャーになられますが、巨人から移籍した理由は何だったのですか?

藤井 当時の巨人は裏方の年齢制限があり、今後のことも考えて移籍しました。

── DeNAでは広報を兼務されていたのですね。球団の顔であり、取材対応として選手全員の動向を把握し、調整しなくてはならないので大変だったのではないですか。

藤井 多くの裏方さんは何かしら仕事を兼務すると思いますが、球団外部の方と接することで自分の世界が広がると思って広報を希望しました。ただ当時はコロナだったこともあり、メディアとのソーシャルディスタンスを考えての取材セッティングに苦心しました。ホームラン談話、イニング間の投手コーチのコメントやプレー動画などを編集してツイッター(現・X)に上げるのが僕の担当でした。また現役時代からブログを15年以上やっていたこともあり文章に接する機会が多かったので、選手の取材記事の校閲もやっていました。選手の練習が始まる前に球場入りして、試合後の取材対応まで、拘束時間は長かったですね。

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