検索

大洋ホエールズの優良助っ人、カルロス・ポンセが語る来日秘話 「バンクーバーか、日本か、二者択一を迫られたんだ」 (4ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

 ふたりは来日を果たし、「ローポン・コンビ」として日本球界を席巻することになる。

「当時の大洋の監督は近藤(貞雄)さん。すごく物静かで、僕たちのやりやすいように自由にやらせてくれたよ。審判にだけはうるさい監督さんだったけどね(笑)」

 日本での初めてのキャンプ。その近藤監督から最初に告げられた言葉に、ポンセは驚愕した。

「『サードはどうか?』って言われたんだ。クレイジーだと思ったよ。なにしろリトルリーグでしか守ったことがなかったからね。いや、マイナーで守ったこともあったかな。いずれにしろ、ほとんど未経験に近かった。でも『イエス』って返事したけどね」

 そして開幕をサードで迎えたポンセだったが、慣れないポジションに大苦戦。やがてベテランスラッガー・田代富雄の故障により、慣れ親しんだファーストのポジションに就くことになった。

後編につづく>>


カルロス・ポンセ/1959年2月日、プエルトリコ出身。ブルワーズでメジャーデビューを果たすも、マイナー降格を機に日本行きを決意。86年に大洋に入団し、1年目から打率.322、27本塁打、105打点と活躍。2年目には打点王のタイトルを獲得し、3年目は本塁打王、打点王の二冠に輝いた。90年に大洋を退団し、その後メジャー復帰を目指すも叶わず、現役を引退した。口ヒゲがトレードマークで「マリオ」のニックネームでファンから愛された

著者プロフィール

  • 阿佐 智

    阿佐 智 (あさ・さとし)

    これまで190カ国を訪ね歩き、22カ国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆。国内野球についても、プロから独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌、ウェブサイトに寄稿している。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。

フォトギャラリーを見る

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る