松田宣浩が振り返る「熱男」のプロ野球人生 アマチュア時代は「寒男」だった (3ページ目)
ただし、光があれば影がある。松田が派手なパフォーマンスをすることで、ネガティブな反応もあったのではないか。ファンの批判の声がSNSを介して選手へダイレクトに伝わりやすい現代では、平穏な精神状態を保つのは難しい。だが、松田はそうした批判に対しては「結果を出せばいい」と自分に言い聞かせていたという。
2017年のWBCでは、準決勝のアメリカ戦で三塁ゴロをファンブルして決勝点を許す手痛いミスを犯した。それでも、松田が絶望することはなかったという。
「失敗したからといって、命までとられることはありませんから。勝負には絶対に勝ちと負けがあります。もちろん、自分の技術のなさ、準備不足が招いたミスなので申し訳なさはありました。でも、負けることもあるのが野球。好きな野球のことなので、人生に絶望することはなかったですね」
練習が厳しいことで有名な亜細亜大での4年間も、松田は「きついとはまったく思わなかった」と振り返る。
「4年間頑張ったらプロを目指せると思ったら、全然きついとは思わないし、野球をやめる必要ないなと思っていました。目標があったからこそ、1日1日頑張れたので。むしろプロに入ってから練習が苦しく感じなかったので、よかったと思ったくらいです」
そして、話題は大学時代にはしていなかった「ケンケン」へと移っていった。
松田宣浩(まつだ・のぶひろ)/1983年5月17日、滋賀県出身。小学2年生から野球を始め、中京高2年の時に双子の兄とともに夏の甲子園に出場。亜細亜大を経て、2005年の大学・社会人ドラフトにて希望枠でソフトバンクに入団。08年から三塁手のレギュラーに定着すると、ゴールデングラブ賞8回、ベストナイン1回など、長きにわたり主力としてチームを牽引。侍ジャパンのメンバーにも選出され、第3回、第4回WBCに出場した。22年オフに巨人移籍を発表。23年限りで現役引退を発表した。
著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。
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