松田宣浩が振り返る「熱男」のプロ野球人生 アマチュア時代は「寒男」だった (2ページ目)
松田は当時の自分を「寒男(さむお)」と表現する。野球人生で一番「寒男」だったのは、栗東ボーイズに所属した中学時代だったという。
「中学時代は声を出した記憶がないですからね」
所属するチーム内には絶えず声でベンチを鼓舞するムードメーカー役がいたが、松田は「頑張っとるな」と見ていた。といっても小ばかにしているわけではなく、「チームにとって大事な存在」とリスペクトしていたという。
【熱男はやってよかった】
ソフトバンクに入団して6年目のシーズン終了後が転機だった。チームのムードメーカーだった川﨑宗則(現・栃木ゴールデンブレーブス)がMLBに移籍するため退団。その際に、川﨑は後釜として松田を指名している。
松田は当時を「タイミングがよかったんです」と振り返る。
「その年(2011年)は初めてフルイニングで出られて、キャリアハイの成績を残せたシーズンでした。そのオフに言われたので、次の年から切り替えてやれましたね」
とはいえ、いきなり"キャラ変"するのは難しいはずだ。そこで松田に「『ムードメーカーになりたい』と悩む人がいたら、どんなアドバイスを送りますか?」と聞いてみた。松田は間髪入れずに「やると決めたら、とことんやること」と答えた。
「変身するというか、なりきって演じることも大事です。僕の場合はユニホームを着たら、もうスイッチが入るので簡単でした。といってもムネさん(川﨑)にはなれないので、自分らしくひとりのムードメーカーになれればいいと考えていました」
2015年にはチームスローガンだった「熱男」のフレーズを浸透させるため、パフォーマンスを始めた。松田が本塁打を打つたびに、多くのファンと声を合わせて「熱男〜!」と叫ぶのが定番となり、「熱男」は今や松田の代名詞になっている。
「どうせ野球をやるなら、違うところで記憶に残りたいなと思っていました。だから『熱男』はやってよかったなと」
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