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イチローの天敵・西川慎一は妻に「5年間だけやらせてくれ」と懇願 大企業を辞め、26歳でプロ入りを果たした (2ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

── 大洲農業(愛媛)を卒業後、西川さんは社会人野球のNTT四国でプレーしました。ここで、渡辺智男(元西武ライオンズ)、西山一宇(元読売ジャイアンツ)、山部太(元ヤクルトスワローズ)などのちにプロ野球に進む投手たちとしのぎを削りました。プロ入りまでに9年もかかったのはなぜですか。

西川 中学では帰宅部でしたからね。小学生の時に1年間だけ、リトルリーグでやりましたけど、中学時代は毎日、河原で石を投げて遊んでいました。中学を卒業する時には身長が160センチくらいしかなかったんですよ。本格的に野球をしたのが高校に入ってからです。高校時代に愛媛県でベスト8に入りましたが、練習はそれほどしていませんでした。NTT四国で鍛えられたおかげでプロに入れたものの、やっぱり時間はかかりましたね。

── プロ入りする際の契約金は7000万円、1年目の年俸は1000万円でした。

西川 9年間、社会人を経験しているので、お金のありがたみはよくわかっていました。そういうことを知らずにプロで大金を手にしたら、どうなっていたかわかりません。

【50試合以上の登板を続けて年俸2000万円に】

── プロ1年目、1994年の一軍登板は3試合。1995年は登板なし、1996年は12試合しか投げませんでした。

西川 私は即戦力のつもりだったんですけど、近鉄にはすごいピッチャーがたくさんいて......阿波野秀幸さんのボールは糸を引くようにキャッチャーミットに入っていくし、野茂英雄は存在自体が別格で、小池秀郎のコントロールは見事でした。みんながえげつないボールを投げるので、「こんなところでやっていけるのか」と思いました。

── 中継ぎ投手として頭角を現すのは1997年から。51試合に登板して、防御率3.00という成績を残しました。

西川 その頃はまだ、中継ぎ投手の役割も評価も確立されていませんでした。試合の展開によっては、まだ準備ができていなくても「さあ、投げろ」と言われることもありました。

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