巨人のレジェンド・末次利光が思うV9達成の価値 後期には「バッターとランナーでお互いにサインを出していた」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【1971年の日本シリーズ第4戦、末次が放った満塁打の裏話】

――V9時代の日本シリーズは、第7戦までもつれたことが一度もありませんでした(巨人の4勝2敗が4度、4勝1敗が5度)。川上監督は短期決戦の戦い方に長けていましたか?

末次 川上さんもそうですし、選手も毎年出場していくにつれて慣れていったんじゃないですかね。コーチの方々も短期決戦の戦い方はわかっていましたし、王さんや長嶋さんなど選手の顔ぶれもそんなに変わらなかったですから。

 ただ、毎回シリーズ前に出る予想では、相手チームが4勝1敗、4勝2敗で巨人に勝つと言われていましたけどね。実際に試合をしてみると、逆に巨人がその勝敗数で勝っていました。

――当時の巨人は、個々の選手が自分の役割を熟知していた?

末次 そうですね。これは日本シリーズに限ったことではないのですが、通常はサードコーチャーの牧野さんがサインを出していたのを、V9時代の後期には「バッターとランナーでお互いにサインを出せ」と言われていました。それだけ戦術がチーム全体に浸透していましたし、牧野さんが選手たちを信頼していた証拠だと思います。でも、そこまで到達するのは難しいですよ。相当な成功体験を積み重ねないといけませんから。

――日本シリーズと言えば、巨人が阪急と対戦した1971年の日本シリーズ第4戦で、末次さんは3回裏に先制の満塁ホームランを放っています(試合は7-4で巨人が勝利)。シリーズが始まる前、インコース打ちの練習をされていたそうですが、インコースを攻められる予兆があったのですか?

末次 巨人が優勝を決めた後の消化試合に、相手チーム(阪急)のスコアラーなどが偵察に来たんですが、その試合で僕はことごとくインコースに詰まっていたんです。なので、日本シリーズでは「絶対にインコースを攻めてくる」と予想していたので、シリーズの1週間ぐらい前からだったと思いますが、二軍打撃コーチの山内一弘さんに練習を見てもらったんです。

 山内さんはインコース打ちの名人でしたからね。日本シリーズまでの1週間は「インコースをいかにしてさばくか」という練習をひらすらやっていました。本番では予想通り、阪急のバッテリーがしつこくインコ―スを攻めてきたのですが、山内さんの指導のおかげもあって、満塁ホームランを打てたのです。川上さんには常日頃から「練習は中途半端ではなく、徹底してやれ」と言われていましたが、そういう姿勢で練習に取り組んで生きたことが生きた瞬間でしたね。

(後編:王・長嶋の後ろを打った「最高」と「最悪」 当時の球場は「想像がつかないような雰囲気になった」>>)

【プロフィール】
末次利光(すえつぐ・としみつ)

1942年3月2日、熊本・人吉市出身。鎮西高、中央大を経て、1965年から13年間巨人でプレー。川上哲治監督が率いるV9時代に、長嶋茂雄、王貞治と共に5番打者としてクリーンナップを形成した。1971年には日本シリーズMVP、1974年にはリーグ4位の打率.316を残してベストナインにも選ばれている。1977年に引退後は巨人の2軍監督、スカウト、編成部長などを歴任した。

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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