巨人のレジェンド・末次利光が思うV9達成の価値 後期には「バッターとランナーでお互いにサインを出していた」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【王、長嶋を中心とした"守り勝つ"野球】

――末次さんが巨人に入団されたのが1964年。プロ入り1年目の1965年からV9が始まったわけですが、ドジャース戦法はすでにチームに浸透していましたか?

末次 ちょうど、ドジャース戦法を試合で徹底してやり始めた頃じゃないですかね。投内連携のサインプレーやベースカバーだとか、それらを中心とした"守り勝つ野球"というんですかね。とにかく守備の練習はキャンプで徹底してやっていました。ただ、僕は外野手だったので、そういう意味ではちょっとラクでしたけどね(笑)

 サインはたくさんあって覚えるだけで大変だったと思いますし、バッテリーや内野手は苦労したはずです。王さん、長嶋さんというスーパースターがいる前後を打っていたショートの黒江透修さん、セカンドの土井正三さんといった選手たちは大変だったと思いますよ。でも、そういった選手たちが適材適所でしっかりと役割を果たしていたことがチームにとって大きかったと思います。

 巨人が強かったので、ほかのチームも巨人にならってドジャース戦法を導入し始めたのですが、先駆けてやっていた巨人が4~5年ぐらいは群を抜いていましたね。

――ドジャース戦法を浸透させる上で、コーチの牧野さんの存在が大きかった?

末次 大きかったですね。投内連携は牧野さんが一手に引き受けてやっていましたから。牧野さんは試合の前日、宿舎から出る直前も常に勉強されていましたし、グラウンドに行ったらそれを実践しようということを繰り返していました。ミーティングでは牧野さんが講師になって、ひとつひとつのプレーを解説してくれてチームに浸透させていましたね。

――9年連続のリーグ優勝と日本一を成し遂げた巨人とはどんなチームでしたか?

末次 先ほどお話したように、やはりドジャース戦法という、スモールベースボールの礎になった戦法を徹底したことが大きかったと思います。それと、当時は外国人助っ人がいなくて全員が日本人選手でした。それでV9を達成しているわけですから、それを成し遂げたチームの一員としても「すごいな」とあらためて思いますよ。

 あと、巨人に対しては他の全球団が「打倒・巨人」で毎回エースをぶつけてくるのですが、そういうエースとの戦いを乗り越えてのV9達成というところに価値があるんじゃないかと思います。当時の巨人のバッターは「打率.280ぐらい打つことができれば、3割の価値がある」とよく言われたものです。

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