広島・矢崎拓也「負けがつくことは中継ぎとして価値がある」想定外だったリリーフで躍進して感じたこと
広島・矢崎拓也インタビュー(後編)
前編:「自分がやらかすことに飽き飽きした」入団から失意の5年
今季、広島の大躍進の原動力となったのが矢崎拓也だ。中継ぎだけでなく、栗林良吏の離脱中はクローザーに抜擢され、チームの危機を救った。これまでは環境の変化に弱いと語っていた矢崎が、なぜ圧巻のピッチングを披露することができたのか。今シーズンの好調の理由を振り返ってもらうと同時に、自身初となるクライマックス・シリーズ(CS)への抱負も語ってもらった。
今季、中継ぎに抑えと大車輪の活躍を見せた広島・矢崎拓也この記事に関連する写真を見る
【もう一度先発? やりますよ】
── 昨季から安定した投球を続け、チーム内の役割も変わってきました。野球は精神面がプレーに大きく左右される競技です。役割が変わっても、同じメンタリティで、変わらぬパフォーマンスを発揮していた印象があります。
矢崎 メンタリティが変わらないというより、"変わることを受け入れる"ことを大事にしていました。「環境が違うけど頑張る」というより、「変わっちゃうもんだよね」と、変化に強くありたいと思っていました。昨年は始まる前から、登板数など数字の目標をまったく立てなかった。というより、そんなことを考える余裕がなかった。自分の心の中でひとつ決めていたのは、なるべく目の前の状況から逃げないというより、"流れに身を任せる"ということでした。だから自分のポジションが変わることにも、抵抗しないと覚悟を決めていました。ただ(マウンドに)上げてもらう時点で、自分にとってはすごい大きな報酬なので、どっちの結果に転ぼうともすごくありがたいことだと思っていました。
── 5月9日の中日戦で、初めて抑えとして9回のマウンドに上がった時も受け入れることができましたか?
矢崎 わりと受け入れられたと思います。抑えのポジションをやっている人はずっとそこにいることが多いし、誰でもできるポジションではありません。叩き上げというか、全部のポジションを経験しながらそこにいくほうが少ないので、ポジションをひと通り経験するのはすごくありがたいことだなと思ってやっています。
── どこのポジションがやりやすいというのはありますか。
矢崎 どこがいいとかというのはないです。与えられたところで、自分を発揮するのが一番かなと。
── もう一度、先発と言われても?
矢崎 はい、やりますよ。結果はわからないですけど(笑)。やれと言われたら、やるかなというくらいです。
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プロフィール
前原 淳 (まえはら・じゅん)
1980年7月20日、福岡県生まれ。東福岡高から九州産業大卒業後、都内の編集プロダクションへて、07年広島県のスポーツ雑誌社に入社。広島東洋カープを中心に取材活動を行い、14年からフリーとなる。15年シーズンから日刊スポーツ・広島担当として広島東洋カープを取材。球団25年ぶり優勝から3連覇、黒田博樹の日米通算200勝や新井貴浩の2000安打を現場で取材した。雑誌社を含め、広島取材歴17年目も、常に新たな視点を心がけて足を使って情報を集める。トップアスリートが魅せる技や一瞬のひらめき、心の機微に迫り、グラウンドのリアルを追い求める