14年の現役生活に幕 ヤクルト荒木貴裕が最高のユーティリティーになれた理由 (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Sankei Visual

 今シーズンは開幕から二軍での試合が続いた。大半を灼熱の戸田で過ごした荒木は、一緒に練習、試合をした若手たちにこんな言葉を贈るのだった。

「やっぱり、プロ野球選手は一軍でプレーしてこそだと思っています。選手によって成長速度の違いはありますが、僕もすぐ活躍できたタイプじゃないですし、自分がやると決めたことを地道にコツコツ続けることが大事だと思うので、頑張ってほしいですね」

 14年間の現役生活で印象に残っている場面について聞くと、2015年のリーグ優勝を挙げた。

「僕は泣くことがないんですけど、あの時は泣きましたね。今まで野球をしてきて、大きい試合で優勝したのは初めてでしたし、それが印象に残っています。『あっ、自分も泣くんだな』と。最近は『はじめてのおつかい』(日本テレビ系列)を見て、うるっとくるようになりましたけど(笑)。

 個人としては、松山(2017年5月14日の中日戦)で打ったサヨナラ満塁ホームランですね。人生で初めての経験でしたし、自主トレや秋季キャンプでお世話になっている方たちの前で打てたことがうれしかったですね。悔いはいくらでもあります。もっと成績を出したかったとか。ほぼほぼ悔しい思いしかないですね」

 ヤクルトはどんなチームでしたかと聞くと、「極端」と言って笑った。

「強い時は強いし、弱い時は弱い。けっこう最下位になったんじゃないですか。こればかりは理由はわからないですけど(笑)」

 9月28日、戸田球場では荒木らしい"ささやかな"引退セレモニーが開かれた。グラウンドには、同期入団の中澤雅人二軍マネージャーと山本哲哉二軍育成投手コーチの姿があった。荒木が引退することで、2009年ドラフト組はすべてユニフォームを脱ぐことになった。

「とくにそこを気にすることはなかったですけど、これで全員ですね。もちろん、もっと続けられたらよかったですけど、終わっちゃったなという感じです」

 そして荒木は「9月30日には神宮へ行きます」と話し、試合で打席に立つことがあれば「楽しみたい」と語った。ユーティリティーとしてチームを陰で支え続けた荒木の、現役最後の姿を目に焼けつけたい。

プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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