阪神との日本シリーズ初戦でまさかの濃霧コールドの結末 先発したロッテの清水直行は猛虎打線を「偏った攻め」で崩した

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News

――第1戦のトピックスといえば、やはり "霧"。ロッテは7回裏、里崎さんとベニー・アグバヤニのホームランで突き離して10-1と大量リードを奪いましたが、その頃に球場全体を濃い霧が覆って、試合が中断することになりました。ボールは見えていましたか?

清水 5回、6回あたりから徐々に霧が濃くなっていったのですが、本当にボールが見えませんでした。霧というよりも煙っぽかったんですよ。球場のすぐ横が海岸ですから、誰かがそこで焚き火をしたとか、何かを燃やした煙が入ってきているのかと思っていました。

――それまで、あれだけの霧が千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)で発生することはありましたか?

清水 いや、僕の記憶ではないですね。マリンスタジアムは基本的に風があるので、煙などが空気中に滞留しませんが、あの日はほぼ無風でしたから。あと、10月の後半(第1戦は2005年10月22日)にマリンスタジアムで試合をすることがありませんでしたから、季節的な要因もあったのかもしれません。

――結局、7回裏1死の時点で濃霧によるコールドゲーム(日本シリーズ史上初)に。清水さんは7回完投で勝利投手となりました。

清水 僕はシーズンでもそうですが、基本的に長い回を投げるのが自分の仕事だと思っていたので、この試合で投げた投手が僕だけだったのはよかったです。ただ、短期決戦はシーズン中の試合と雰囲気が違うので、ピッチャーは早い段階で少しでも投げて「雰囲気に慣れておきたい」という気持ちもある。なので、僕自身だけのことを考えるとよかったですが、以降の試合での他のピッチャーのパフォーマンスにどういう影響があったのかはわからないです。

(阪神・関本賢太郎のエピソード2:阪神は「気象条件にも見放されたか」勝負のポイントは「5回の攻防にあった」>>)

【プロフィール】
清水直行(しみず・なおゆき)

1975年11月24日に京都府京都市に生まれ、兵庫県西宮市で育つ。社会人・東芝府中から、1999年のドラフトで逆指名によりロッテに入団。長く先発ローテーションの核として活躍した。日本代表としては2004年のアテネ五輪で銅メダルを獲得し、2006年の第1回WBC(ワールド・ベースボールクラシック)の優勝に貢献。2009年にトレードでDeNAに移籍し、2014年に現役を引退。通算成績は294試合登板105勝100敗。引退後はニュージーランドで野球連盟のGM補佐、ジュニア代表チームの監督を務めたほか、2019年には沖縄初のプロ球団「琉球ブルーオーシャンズ」の初代監督に就任した。

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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