阪神との日本シリーズ初戦でまさかの濃霧コールドの結末 先発したロッテの清水直行は猛虎打線を「偏った攻め」で崩した (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News

――シーズン中からそういうことが多かった?

清水 「このバッター相手にはここに投げよう」という決めごとは、シーズンでもけっこうありました。西武の和田一浩さんや(アレックス・)カブレラにはここ、ソフトバンクの松中信彦さんや城島健司ならこっち、といったように、けっこう偏った攻めをしていました。そういう習慣が日本シリーズで生きましたね。

 そこまで徹底するようになったのは、2004年にボビー(・バレンタイン監督)が監督になってからですね。ガラッとデータ重視に変わったんです。「相手にウイークポイントがあるなら、そこを徹底して攻めていこう」と。ボビーもたまにミーティングに参加して、みんなでデータを共有していたので、打たれた後に「なんでそんなところに投げたんだ?」と首脳陣から問われるようなこともなく、安心して投げていました。

――第1戦は初回に先頭打者の赤星さんを四球で出してしまいましたよね。赤星さんの足は戦前からかなりマークしていたと思いますが、結果的には盗塁させませんでした。やはり、それが大きかった?

清水 赤星は四球で歩かせてしまいましたが、2番の鳥谷敬をすぐに追い込めましたし、3球で三振をとれました。そこで赤星を二塁に行かせなかったということ、次の3番シーツにはレフト前にヒットを打たれたのですが、一・二塁で止まったことが大きかったです。赤星に盗塁を決められていたら、シーツのヒットで一・三塁、もしくは赤星の足ならホームに還られた可能性もあります。仮にそうなっていたら、試合の流れは変わっていたかもしれません。

――鳥谷さんの2球目で赤星さんがいいスタートを切っていましたが、鳥谷さんがバットを出してファウルになりましたね。

清水 僕はバッターと勝負するのがけっこう早かったので、それが功を奏した場面だったのかもしれません。

 もともとは球数が多いほうだったのですが、球数を減らさないと完投できません。なので、僕は2003年くらいから「1球ボールを見せて......」ということをやめて、ピッチャー有利なカウントで早めに勝負していくピッチングスタイルに変えたんです。一方、当時のセ・リーグの野球はちょっと違ったと思うんです。「ここは1球、ボール球を挟んで」といった攻め方が多かった。

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