斎藤佑樹のプロ1年目「この世界で勝つのは大変」と痛感させられたダルビッシュ有の衝撃
3月6日の札幌ドーム。ファイターズとのオープン戦の試合途中、何人かのジャイアンツの選手がファウルグラウンドでアップを始めた。小笠原道大、阿部慎之助、高橋由伸、坂本勇人、長野久義といったレギュラー陣が横一列に並んで、ゆっくりと走り始めたのだ。そして、なぜか試合中盤から彼らはラインアップにその名を連ねた。
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【自信が持てなかったワケ】
言われてみれば、そんな感じでしたね。試合後、記者の人たちから、あれは僕が6回から登板することになっていたからだ、と聞かされました。「主力をスタメンで出場させると2、3打席でお役御免となるから、斎藤くんと対戦できないでしょう」って......つまり、あのジャイアンツが僕の登板のタイミングを見計らって、試合後半からレギュラーを揃えてきたってことですか。なんだか怖い話ですね(笑)。
覚えているのは、高橋由伸さんにカットボールを続けて投げたことです。すべてインコースへ、3球続けたのかな。あの頃の僕にとって、スライダーはワンバウンドにするイメージで低めへ投げる決め球で、追い込んでから振らせて空振りをとりたいウイニングショットでした。
一方のカットボールは、バッターが真っすぐに絞っていそうなケースでスッと投げてストライクをとる、カウントボールというイメージで投げていました。あの日は何が何でも抑えたいマウンドだったので、相手バッターのペースに巻き込まれず、立ち遅れないための最適解があの配球でした。怖がらずにインサイドへ投げて、カウントを有利にするピッチングがしたいと考えていたんです。
もうひとり、印象に残っているのが空振り三振をとった右のラスティ・ライアル選手との対戦です。僕は大学時代、スライダーでたくさん三振をとれていたので、プロでもスライダーで三振をとりたかったんです。でも、キャンプ中の練習試合では思うようにスライダーで三振がとれませんでした。プロを相手に僕くらいのレベルのスライダーでは空振り三振はとれないのかなと自信をなくしかけていましたが、初めてライアル選手をスライダーで空振り三振に仕留めて、ほんの少しだけ自信になった記憶が残っています。
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著者プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。