「こういうピッチング方法もあるな...」 ヤクルト・清水昇がチェコの投手から学んだパワー全盛時代だからこそ生きるヒント (4ページ目)
「周りが競争をうながしてくれるのはありがたいですけど、だからといってライバル視しているかと言ったら、それはありません。誰かがクローザーを任されたら、与えられたポジションで投げるだけです。みんなで切磋琢磨して、ブルペン陣で勝ったねと言われる試合を増やしたいですし、そのなかで話題をつくれる選手になれたらと思っています」
そうして清水は、自分にとっての成長の階段をまたひとつ見つけたのだった。
「今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に、同世代や年下の選手が選ばれているのを見て、自分のなかでは最初(1年目)につまずいたのが悔しいというか。でも、今回のダルビッシュ(有)さんや、前回大会の青木さんのように、ベテランになってもWBCに行くことができる。だからこそ、これからたくさん経験して、いつかは......という気持ちはあります」
【スタイルを変えることはない】
清水は、オープン戦期間中の広島遠征ではチームから離れて二軍の戸田球場で調整した。
「ここまで試合でもいろいろなことを試せていますし、順調に投げられていると思います。戸田では自分の好きなように練習ができました。開幕に向けて、ここからは試すよりも実戦に向けたピッチングになっていきます」
この日の練習後には、WBCの日本対チェコ戦をテレビ観戦。山田のスタメンを知ると、すぐに「頑張ってください」と連絡したという。
「リラックスした1日でしたが、日本の試合を見て感化される部分もありました。試合を見ると、パワーピッチャーが多く選ばれているなと思いましたが、一方でチェコのピッチャーは、球は遅いのですがそのなかで抑えていた。こういうピッチング方法もあるなと」
清水は昨年の日本シリーズで、オリックス中継ぎ陣のすごさを目の当たりにして、いろいろ考えることがあった。
「最近はパワーピッチングが主流になってきて、自分も目指したい部分ではありますし、そこを生きる道にすれば、これまで以上の成績が出るかもしれません。でも、だからこそ今のピッチングスタイルを変えることはないなと。頑張って、真っすぐも変化球も低めに、コーナーにコントロールよく投げる。そして『ここぞ』という時に、速いボールを投げられたらいいかなと。今年はそういうピッチングを見せられたらいいなと思っています」
清水が昇る階段に終わりはない。
著者プロフィール
島村誠也 (しまむら・せいや)
1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。
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