青木宣親が村上宗隆に贈る唯一のアドバイス 「弱いところを見せなかった」イチローのリーダー像や3度のWBCを振り返った

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Getty Images

 あれから17年が経った。

 2006年、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本は優勝を飾った。アメリカ・サンディエゴにあるペトコパークの夜空に舞い上がった紙吹雪の下で、まだ侍ジャパンと呼ばれていない日本代表ナインは歓喜の輪をつくっていた。

 すでにメジャー屈指の安打製造機となっていたイチロー、大会MVPに輝いた松坂大輔らが王貞治監督を胴上げしていた。そのなかには、決勝のキューバ戦に「9番・センター」で出場していた青木宣親の姿もあった。

2009年にWBC連覇を果たした日本代表の(写真左から)青木宣親、イチロー、内川聖一2009年にWBC連覇を果たした日本代表の(写真左から)青木宣親、イチロー、内川聖一この記事に関連する写真を見る

【WBCに参加することの意義】

 青木は、前年にプロ野球史上2人目となる首位打者と新人王を同時受賞したまだ24歳になったばかりの若武者だった。ただ当時、WBCは決して注目度の高い大会ではなかった。青木が第1回WBCを振り返る。

「たしかに最初は注目度も高くなったし、どんな大会になるのかも想像がつかなかった。それでも日本代表に選ばれたというのは、そこまでの選手になったという自分の成長を感じましたし、世界を相手にプレーできるというのは、その時すでにメジャーでやってみたいと思っていたのですごくありがたかったですね。

 もちろん、日の丸を背負うという重みもありましたし、僕のなかで日本を感じた瞬間でしたね。だから今でも、日本の選手に頑張ってほしいと思いますし、やっぱりほかの国と戦うことで、自分が日本人だということを再認識させられますね」

 青木のように強い気持ちで大会に臨む選手がいる一方で、アメリカでは世界一を決めるのはワールド・シリーズだと思い込む選手は多く、「シーズンの準備の邪魔になる」「3月上旬の開催は早すぎる」などの理由で参加拒否が相次いだ。

 だがその後、青木のように熱い思いを持った選手が次々と参加。WBCの認知度も上がり、今年開催の第5回大会は3度もMVPに輝いたマイク・トラウト(エンゼルス)を筆頭に、実績ある選手が数多く参加する。

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