斎藤佑樹が語る「伝説の優勝スピーチ」と「持ってる発言」の真相。「自信がないことを悟られたくなかった」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 6回の途中に1点をとられて(その時点で早稲田が3−1と2点リード)、僕は松下さんに代わりました。その後は松下さん、須田さんが抑えて、(4−1で勝って)早稲田は日本一をつかみとります。

 大会のMVPが僕で(1年生での受賞は史上初)、最優秀投手が松下さんで......えっと、僕、また何か生意気なことを言ったんでしたっけ(苦笑)。いや、その時の言葉(試合後の取材で「そろそろ運を使いきるかなと思っていましたが、やっぱり何かを持ってますね。一生、こういう人生なのかな」と語った)を今、あらためて聞かされると、調子に乗ってたんだなと思うと同時に、やっぱり自分に対しての自信がまだなかったんだな、と思うんです。

 つまり、運に頼るということは本当の実力は身についていない、ということじゃないですか。たぶん、当時の僕もそういう意図で言っていたと思うんです。準決勝も決勝も5回までだと言われて、強力な打線が点をとってくれて、自分の実力で投げきって勝ったとは思えていなかった。だから、運がよかったから勝てた、その運を持っていたからMVPを獲れたという不安。

 でも大学野球でやるからには、先発完投は当たり前です。土曜日に投げて勝って、もし日曜日を落としても月曜日にまた投げて勝つのが大学野球のエースだという感覚でしたから、先輩たちに助けてもらって勝てても本当の自信は身についていなかったんだと思います。言葉のレパートリーもなかったし、自信がないことを悟られたくないという気持ちもあったのかもしれません。それであんな調子に乗った言い方になってしまったんでしょうね。

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 甲子園を席巻したハンカチ王子の大学デビューは、この上ないものとなった。春季リーグ戦で優勝、東京六大学史上初となる1年春のベストナイン、大学日本一に大学選手権のMVP──順風満帆に見える華やかな大学野球のスタートではあったが、その裏で寂しい現実もあった。早実のチームメイトが次々と早稲田大学の野球部を辞めていってしまったのである。

次回へ続く>>

プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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