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第1回WBCメンバー・清水直行が振り返る初優勝。福留孝介の韓国戦ホームラン、イチローに「そんなことするの?」と思った選手も語った (4ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

【偉大なイチローをイジっていた選手】

――WBC期間にイチローさんと話す機会もあったかと思いますが、印象に残っていることは?

清水 イチローさんが(メジャーリーグのマリナーズ移籍で)日本を離れた年(2000年)の最後の対戦相手が僕だったんです。それを僕は覚えていて、イチローさんと歩いている時に「イチローさんがメジャーに行かれる前の最後の打席で対戦させてもらってるんです」と言ったら、「そうだよね、神戸(グリーンスタジアム神戸での試合)だよね」と覚えていてくれたんです。

――覚えてくれていないと思っていた?

清水 そうですね。でも、あれだけ偉大な選手でありながら、覚えていてくれて嬉しかったです。ただ、そんなイチローさんに対して、「おいおい、そんなことしていいの?」という接し方の選手もいて......。

――優勝後のシャンパンファイトで、上原さんがイチローさんに陽気に絡んでいる光景が思い出されますが......。

清水 まさに上原です(笑)。あいつはイチローさんを"いじる"んですよ。上原がそういうキャラでもあるんですけどね。でも、イチローさんはイタズラなどをされても一緒に笑って盛り上がっていました。場の雰囲気を大切にして、いい雰囲気を作ってくれる方です。

――大会終了後、日本代表のメンバーが日本に帰国する時に、イチローさんが選手一人ひとりと握手をされていましたね。

清水 イチローさんは日本に一緒に帰らなかったので「じゃあ、ここで」と。「ありがとう。これからも(それぞれ)頑張ろうな」と声をかけていただいた記憶があります。

――日本代表が到着した時の成田空港は大フィーバーでしたね。

清水 あんなに多くの人が出迎えてくれるとは思っていませんでした。日本からアメリカに向かった時の閑古鳥が鳴いていた状況を思えば、考えられない盛り上がりでした。むしろ「なぜ、こんなにフィーバーしてるんだ?」と不思議なくらいでしたね。

(後編:WBC公式球に慣れるまでの苦労。「スッと抜くボールが投げづらかった」>>)

【プロフィール】
清水直行(しみず・なおゆき)

1975年11月24日に京都府京都市に生まれ、兵庫県西宮市で育つ。社会人・東芝府中から、1999年のドラフトで逆指名によりロッテに入団。長く先発ローテーションの核として活躍した。日本代表としては2004年のアテネ五輪で銅メダルを獲得し、2006年の第1回WBC(ワールド・ベースボールクラシック)の優勝に貢献。2009年にトレードでDeNAに移籍し、2014年に現役を引退。通算成績は294試合登板105勝100敗。引退後はニュージーランドで野球連盟のGM補佐、ジュニア代表チームの監督を務めたほか、2019年には沖縄初のプロ球団「琉球ブルーオーシャンズ」の初代監督に就任した。

著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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