阪神・岡田彰布監督の「魔法の言葉」で関本賢太郎は長距離砲を断念。「お前、勘違いしたらあかんで」
野球人生を変えた名将の言動(9)
関本賢太郎が語る岡田彰布 前編
指導者との出会いが、アスリートの人生を大きく変える。長らく阪神で活躍し、勝負強い打撃と堅実な守備で2005年のリーグ優勝に貢献した関本賢太郎氏は、岡田彰布監督との出会いが野球人生のターニングポイントになったという。
現在、野球解説者や野球教室での指導など多方面で活動する関本氏に、第一政権時の岡田監督の印象や、二軍時代に言われた金言など、当時のエピソードを聞いた。
関本(右)のバッティングを指導する、阪神第一次政権時代の岡田監督この記事に関連する写真を見る***
――関本さんは奈良県出身ですが、幼い頃に岡田監督の現役時代のプレーを見ていましたか?
関本賢太郎(以下:関本) 奈良では阪神戦があまり中継されていなかったので、若かりし頃の岡田さんがどんな選手なのかほとんど知りませんでした。なので、最初にお会いした時もまったくイメージがない状態でしたね。
――実際にお会いした時はどうでしたか?
関本 僕がプロ入り2年目の時、岡田さんが阪神の二軍助監督兼打撃コーチに就任されたんですが、「物事を極力シンプルに伝えてくれる方だな」と思いました。すごく難しい内容の話でも、僕らが理解できるようにかみ砕いて伝えてくれたんです。
あと、岡田さんが話しかけてきた時は、選手にとって"魔法の言葉"をかけてくれるような感じなんですよ。口数が多い方ではないのですが、時折話しかけてくるタイミングが絶妙でアドバイスも的確なので、当時の選手はみんな「岡田さんが教えてくれたら、その日に打てる、(ピッチャーは)抑えられる」という感覚があったと思います。
――第一次岡田政権でエースとして活躍した井川慶さんは、二軍で直球主体のピッチングで制球に苦しんでいた頃に「次のイニングはすべて変化球を投げろ」と言われたことがあるそうですね。それで抑えることができて、変化球に自信を持つことができるようになったと聞きます。
関本 そのエピソードのように、バッターに対してもピッチャーに対しても、岡田さんのアドバイスはめちゃくちゃ短いんです。説明が長くて「何が言いたかったんだろう」となることがありません。極端な話、「コレをやれ」だけなんですよ。その端的な言葉を出すまでの間に、おそらく相当にいろいろなことを見て考えていたんでしょうね。
1 / 3
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。