「岡田彰布が率いる阪神はやるぞ」。広岡達朗が来季の優勝候補筆頭にタイガースを挙げるこれだけの理由 (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin
  • photo by Sankei Visual

広岡が説くベッドコーチの重要性

 そして話は巨人・原辰徳監督と岡田監督へと移った。

「じつは、原を巨人の監督に推薦したのはオレだ。『おいチョーさん(長嶋茂雄)、原は純粋無垢な男だし、野球人の親父さんに困った時は相談できるから、後継者として自分の手もとに置いて育てるべき。そして勇退という形で原に譲るべきだ』と言ったことがある。長嶋が原に何を教えたかは知らないが、そういう経緯があった。原が生まれ持ってのスターという声があるそうだが、岡田だって関西の生粋のスターということを忘れてやしないか。岡田のほうが阪神からオリックスに行くなどして勉強している」

 原の父親である原貢(故人)は、アマチュア球界のドンとして君臨。三池工業(福岡)の監督時代には1965年夏の甲子園で初出場初優勝を果たすと、東海大相模(神奈川)時代は息子・辰徳との"親子鷹"として注目を集めた。辰徳は高校1年夏から甲子園に計4回出場し、甲子園のアイドルとしてフィーバーを巻き起こした。

 その後、東海大に進み、憧れの巨人にドラフト1位で入団。新人王、第48代4番として、瞬く間に巨人のスターへと上り詰めた。引退後は監督として、通算16年歴任、通算1220勝(2022年10月終了時点)はともに球団歴代1位の記録である。

 その原に勝るとも劣らないのが岡田だ。実業家の父を持つ岡田は、幼少期に当時阪神のスターだった吉田義男、三宅秀史が家に遊びにくるなど、関西の野球少年の誰もがうらやむ環境で育った。北陽高校(大阪)では1年夏から甲子園に出場し、早稲田大では1年秋からレギュラーとして活躍。4年間で通算打率.379、20本塁打、81打点と東京六大学のスーパースターとして一時代を築いた。

 ドラフトでは6球団競合の末、相思相愛の阪神が交渉権を獲得し入団。新人王、そして阪神の主力として長年活躍し、引退後は阪神、オリックスの監督を通算8年間務め、リーグ優勝1回、Aクラス4回の成績を残した。

「生まれ持っての格というのは、努力で備わるものではない。だからといって、己を律して鍛錬していかないと格は下落していく」

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