2095安打も打ちながらタイトルも表彰もゼロ。プロ野球のミステリー (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 青田昇(元・巨人ほか)は72年に大洋の打撃コーチを務め、73年には監督に昇格したから必然の指導といえそうだ。が、東映(現・日本ハム)で監督、中日などでコーチを務めた田宮謙次郎(元・阪神ほか)は大洋での指導歴がない。相手がどういう立場であれ、貪欲に教えを受ける姿勢は他チームの先輩・田宮にも通じていたのだろう。

「でも、僕らのときは見せない時代だったんです、練習を。ましてや教えてくれない。だから試合で盗みました。両リーグで首位打者を獲った江藤慎一さんが移籍してきたときには、一ヵ所、左足の使い方を盗んで。巨人戦で左の高橋一三が外にチェンジアップを投げたとき、江藤さん、真っすぐを打ちにいってるのにパッと止まったんですよ。

 普通はタイミングずれて打てないのに、レフトスタンドまで運んだんです。そのとき、見たら、踏み出す足、左足のかかとがかなり浮いていて、ハッと思った。自分は足が平らになっちゃうから下半身を使えないんだ、浮かせておけばまだ使えるんだ、オレに足りないのはこれだ、と思って盗ませてもらったわけですよ」

 中日、ロッテで首位打者を獲った江藤慎一の大洋移籍は72年。松原さんが技術を盗んだのは翌73年の後半戦のことで、以来オフの間から翌74年にかけて、左足のかかとを浮かせて着地する練習に明け暮れた。

「キャンプの紅白戦でもオープン戦でも、1球目は必ず見逃して、その形をファッとつくる。そうやって体勢が崩れないようにしたんですけど、これができるようになると、別に左のチェンジアップだけじゃなくて、緩急についていけるようになるんですね」

 後年、江藤慎一の弟・江藤省三(元・巨人ほか)が明かした話によれば、74年の開幕前、兄・慎一が"予言"していたという。「松原はよくなってきた。今年、首位打者、獲るから見ててごらん」と。

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