ヤクルトにクラブチーム所属の無名の大工見習いが入団。本間忠はいかにしてプロ野球選手になったのか
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連載『なんで私がプロ野球選手に!?』
第9回 本間忠・前編
プロ野球は弱肉強食の世界。幼少期から神童ともてはやされたエリートがひしめく厳しい競争社会だが、なかには「なぜ、この選手がプロの世界に入れたのか?」と不思議に思える、異色の経歴を辿った人物がいる。そんな野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第9回に登場するのは、「ドラフト指名された大工」として有名になった本間忠(元ヤクルト)。無名のクラブチーム投手がプロ入りできた背景には、無自覚な大器の才能を信じる理解者や支援者の存在があった。
1999年のドラフトでヤクルトから6位指名を受け、念願のプロ入りを果たした本間忠この記事に関連する写真を見る
悲願の甲子園出場は叶わず
「せっかく素質があるのに、もったいないな......」
日本文理に出入りする運動用具店の大橋亮は、何度もため息をついた。その視線の先には、同校エース右腕の本間忠がいた。
本間は新潟県内で注目される好投手だった。身長186センチの長身から繰り出される快速球は目を引いた。だが、大橋には「本間が本気で野球に取り組めば、もっとすごいボールを投げられるはずなのに」というもどかしさがあった。
大橋にとって日本文理は母校でもあり、本間は6学年離れた後輩でもある。練習中、ロードワークに出ようとする本間に「ちゃんと走れよ!」と声をかけても、「わかりました〜」と軽いトーンで受け流される。大橋は「こいつは『どこでショートカットしようか』と考えているんだろうな」と、再びため息をついた。
中学まで捕手だった本間を投手にコンバートしたのは、監督の大井道夫(現・総監督)である。大井は宇都宮工でエースとして夏の甲子園準優勝、早稲田大では外野手として活躍した野球人。本間のキャッチボールをひと目見た瞬間、「この子はピッチャーだ」と直感したという。
「誰が見たってピッチャーでしょう。中学までは彼のボールを受けられる子がいなかったから、キャッチャーをやっていたみたいだしね」
だが、肝心の本間自身は捕手志望だった。
「キャッチャーなら、先輩でも動かせるのが面白かったんですよね」
高校1年秋まで捕手としてプレーしたが、冬からは強制的に投手にコンバートされた。2年春以降はエースとなり、大事な試合はほとんど本間が投げるようになった。
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