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斎藤佑樹がピッチングに「適当」を入れて覚醒。甲子園初完封でいよいよ運命の駒大苫小牧戦へ (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 あの準決勝(5対0)で、僕は自信というものをつかむことができたと思います。今吉くんのときは別にして(笑)、ピッチングに"適当"という感じを出せた......それは決勝に向けて、すごく大きなことだったと思います。

宿敵・駒大苫小牧との再戦

 そして、僕らはついに夏の甲子園の決勝戦に辿り着きます。

 相手は夏の甲子園3連覇(中京商以来、73年ぶり)を目指す駒大苫小牧でした。僕は甲子園ではずっと「取られても2点まで」と決めて投げていました。それはウチの打線が必ず3、4点はとってくれると信じていたからです。ランナーが出てもそのランナーは帰してもいいし、何ならホームランを打たれたっていい。ランナーが2人出たらここはホームランだけは打たせない......そういう気持ちで投げていました。

 でも、あの決勝だけは違いました。駒大苫小牧には2年秋の明治神宮大会の準決勝で負けていて、ここに勝つには1−0しかないなって、ずっと和泉(実)監督と話してきたんです。だから決勝では1−0の試合をしようと思っていましたし、強打の駒大苫小牧をゼロに抑えなければならないと、本気で思っていました。そのためのカギは4番の本間(篤史)くんです。

 本間くんと初めて対戦したのは負けた2年秋の明治神宮大会でしたが、その試合でレフトスタンドにホームランを打たれてしまいました。初球をフルスイングされたんです。ヤマを張られたか、クセを見抜かれていたのか......そうでなければあんな大胆に振れないよな、というスイングでした。

 しかもあの日、本間くんは第1、2打席ともに三振していたんです。普通、三振、三振とくれば、今度は三振したくないと思って当てにくるものですが、第3打席、本間くんは初球から思いきり振ってきた。その時の残像が残っていたこともあって、決勝では4番の本間くんを警戒していました。

 決勝の日は曇っていた印象です。それまでの甲子園は暑かったのに、決勝の日は曇っていて、風が吹いたら涼しく感じるほどでした。ああ、助かったな、と思いました。

*     *     *     *     *

 2006年8月20日、夏の甲子園、決勝。早実対駒大苫小牧──長く語り継がれる歴史的な一戦......いや、"二戦"が幕を開けた。その立ち上がり、斎藤はランナーを2塁に置いて、警戒していた4番の本間との対決を迎える。本間は斎藤の投じたアウトコースのスライダーを捉えた。ここで野球の神様が、悪戯心を覗かせた。

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